修復

劇的な展開により今とても清々しく幸せな気分である。

長い付き合いの合った大事な人達と縁を切ったままこの先の人生を送る事を覚悟していた、この4か月。それが一昨日の夜、突然の仲直りを迎えた。
仲直り?少し違うか。

その夜私は友人達と呑気な飲み会をしていた。酔った私は不意にいてもたってもいられなくなり、その人に電話をした。本当に突然に。
その人はびっくりするくらい平気な声で応じてくれた。
あっという間に私は涙声。

あの頃、私は解放されたかったのだ。当時の自分の状況の一切から。当時やけに理論武装していたのが何よりの証拠だ。
私の語った事が言い訳であり虚構であったとは思わない。
しかし、私がその人にぶつけた理屈の裏には、自分が助かりたいという思いが色濃くあったのは紛れもない事実だ。

私は劇団を続けたかった。でも、辞めたかった。
お笑いの活動を、それに付随する何もかもを続けたかった。でも、辞めたかった。
怖かったのだ。続ける事も、辞める事も。
私が存在している事を証明する唯一の手段である活動。肩書き。しかしそれを持続する事は苦痛であった。
あちら側にずっと立っていたかった。でも、それにはひどく力が必要で、私にはそんな重労働に立ち向かうだけの根性がなかった。勤勉さがなかった。
それを捨て去る勇気すらもなかった。
私はただ日々の時間が過ぎ行く事を待ち望み、怖れ、のらりくらりと生きていた。

九月頃、私が劇団を辞めた事の顛末を、この雑記に書いた。
その時大事に思っていた事、守りたかった事、思いの全ては真実だが、たった一つ、私は上記の事実についてを隠した。
自分自身がその事実を認めたくなかったのだ。

私はとあるキッカケに飛び付き、情けない真実を誰より私自身に隠すため、相手を攻撃するという形で活動の全てに幕を引いた。

時が過ぎて心にひっかかるのは、実に17年もの間追い続けた人との絶縁と、この世で一番好きな劇団との絶縁だった。

しかし謝るのもおこがましいような別れ際の罵詈雑言。今更どの面下げて…。

そんな私を無神経に変えてくれたカラオケボックスの安酒にただただ感謝。

そして、

私はやはり、とんでもなく甘やかしてもらったのだ。
泣きたくなるくらい嬉しい。
(実際、歌舞伎町の真ん中で号泣ときたもんだ)