ものおもい

たまにものもらいになります。ソッコーで眼科に行き、点眼薬もらって治します。昔から眼が弱いため眼病に罹りやすいのと、視力が悪くてコンタクトのお世話になってるのとで、眼科には行き慣れています。
本番前日に突然目が開けていられなくなったくらい痛んだ時も、先生に強引に頼み込んで半日でなんとかしてもらいました。だってそのままじゃ舞台に立てないんですもん!
稽古中はちょっと先の本番のことを考え、本番は今その時だけのことを考える。慎重に計画的に生きる時と刹那的に生きる時がこんなに極端に混在するのも、芝居人ならではなんじゃないかなあと思います。
ものもらい一つ患っても舞台に立てるか立てないかを左右するようなデリケートな生き方でもあります。

あれ?あ、違う違う。ものもらいじゃなくて物思い。
ものを思ってたんです。

発条ロールシアターは劇団の形式じゃないんですって。主宰曰く。
劇団員で構成されていて、時には客演さんを迎えて芝居をうつ、というのではなく、毎回色んなところからぱーっと集まってきた海のものとも山のものとも知れぬ役者達が、せいぜい二ヶ月やそこらで芝居を作り上げる。演者同士には絶対的に必要となる信頼関係がその短期間でどこまで築けるか、やってみなけりゃわからない。怖いですよ。

発条は今のところ割と毎回決まった役者が出てくれて、そういう人達とはより深く互いのことがわかってきて、とは言えわかっていたつもりが勘違いでした、なんてこともあって。それが面白かったり。
長く太く濃密な人間関係って、なかなか作れるものではないからそういう充実感というのはとても貴重です。
でも、それでもやっぱり何も知らない同士が交わりあう緊張感とかストレスとか怒り喜び悲しみ諸々、そういうものが無いとやってけない!とも思うわけです。私は。なんて欲しがりやさん。

まあ、私だけじゃなくって主宰とか、あとあちこち飛び込んで行く役者さんとかも、少なからずそう思ってる部分はあるんじゃないかと思います。

役者は自分自身が様々な役を演じる喜びの他に、通常なら考えられないほど多種多様なかたちの人間関係を味わう喜びがあるんだなあと、思うのですよ。

わ。しょうもない事を冒頭に書いてたらもう字数制限がきた。