食べ物への愛を語ります

滋賀県では、鹿が増えすぎたため生息数の見直しをしたそうです。それにより駆除頭数が増え、その鹿の肉を使ったカレーが某カレーチェーン店のメニューになっているとか・・・。
おおお、是非全国的に鹿肉カレー展開して!

鹿肉食べたいです。
いや、食べようと思えば食べられるんですが、高いんですよねえ。
塩コショウで食べたいです。
臭みがある臭みがあると言われていますが、その臭みを知りたいです。好きになるかどうかは別として、食べ比べてみたい。
そういえばマトン(大人の羊)も臭みがあるらしいですが、私はあまり実感したことが無いです。
旭川ジンギスカンは肉をタレにつけこんだものを焼くので、臭みが取れていたのでしょうか?(函館の人にふるまってもらったジンギスカンは、焼いてからタレにつけて食べる方式でした。これはラム肉だったかな)
ラム(子供の羊)も柔らかくて美味しいですが、私はマトンの方が好きです。

鹿の臭みを味わってみたいなあ。

そういえば先日、身欠きにしんの甘露煮を試食しました。濃い目の味付けでしたが、その中にしっかりとにしんの美味しさが!身欠きにしん自体あまり食べることが無いので(意識して食べたのは初めて)、こんなに美味しいものなのか!!!と。
北海道のアンテナショップ内で、しばし時間も場所も忘れて身欠きにしんの味に溺れました。甘露煮の味に、ではなく身欠きにしんの味に。
食べ物で感動するのって、本当に幸せ!何より至福の時!

という訳で、それを考えると鹿肉のうまみも濃い味付けくらいでは損なわれないのかなあと思いますが、でもなるべくシンプルな味で食べたいものです。

東北・北海道の食べ物ってなんでこんなに美味しいんでしょうか。自分が北海道出身だからそう思うのかな。
ああ、でも奈良で食べたうどんにも感動したっけ。美味しかったなああ。
瀬戸内海の海の幸にも惹かれるし、九州もいいし。

あたし!今と別の生き方を選べるなら、世界中の食べ物を食べつくす富豪になりたい。富豪じゃなくても、真面目に地道に働いて、たくさん稼いで、そのお金で食べたいものを全て食べて生きたい。食べることを生きる手段ではなく目的にしたい!そんな贅沢な放蕩人生を歩んでみたい!ほうとう食べたい!

最期に食べたいものは何か?と試しに考えてみたのですが、この世の最後の食事となったらひとつだけなんて選べそうにないです。
許されるならば、満漢全席みたいにずらーっと食べたいもの並べて、三日三晩かけて食べつくさせて欲しいです。許されないなら・・・ううう・・・私の好きなものランキングで殿堂入りを果たした餃子かなあ。それともカレー・・・海産物・・・ジンギスカン・・・麻婆豆腐・・・皿うどん・・・ちゃんぽん・・・。
違うな。母が作ってくれたお弁当の定番メニュー。ちゃんとお弁当箱に詰めたやつ。それが食べたいかな。
白いご飯、ほうれん草のおひたし、ハンバーグ、甘くない卵焼き、昆布巻き(←出来合いですが。超絶好きだった。昆布の佃煮をご飯に乗せてくれる時もあった)・・・。こうして振り返ると随分豪華だな!ウィンナーが入ってる時もあったっけ。無着色の白っぽい、サンドベージュっぽい色のウィンナー。あれ、めちゃめちゃ美味しかった!デザートなんてしゃらくさい物はありません。あ、でも遠足のおにぎりには別でリンゴを包んでくれたりしたっけ。一つ目のアルミホイルにはお握り二つ。二つ目には卵焼き。そしてラップに包んだりんご。あの頃のおにぎりの中身は何だっけなあ。
・・・なんて。心情的にも、これならまあ何とかおさまりがつくかな。

ただ、最期の食事がどういう意味なのかによって少し変わってくる気はします。自分が犯した罪があり、その罰を受けるために「最期の食事」となるならば、やはり美味しい!となるよりか、罪の重さを受け止められるものを食べたい。なんだろう・・・。それこそ母のお弁当の再現か。
無実の罪なら何も食べたくない・・・かな。無念すぎる。冤罪って、ひどいね。強いて言うなら山盛りの銀杏かな。特に意味は無いんだけど。
地球最後の日だったらやけくそというか、快楽に溺れられるものが食べたいし(それこそ満漢全席的な)、病気やなんかだったら、うーん・・・家族か友人と会えるのならば、その家族や友人がバリバリモリモリと食べ物をむさぼる姿を見たいかな。身寄りが無かったら病院の先生や施設の職員さんが食事する姿でもいい。その、人間が生きる姿、生きるための活動そのものを見て去りたい。
やだ、なんか結構具体的。
やっぱりこんなこと考えるの嫌だなあ。あと50年は元気に生き抜いて、できる限り食べたいものを食べ続けたい。

最近バタバタしていて食生活がひどいことになっていますので、もうちょっとちゃんとした物を食べないと心が貧しくなるなあと反省しています。
ちゃんとした物。それは私にとって、「あれを食べようかな、これを食べようかな」と思い描いた中から選び抜いた食べ物、ということです。手料理が失敗しても構わない。明確な目的を持って食べる食べ物、それがちゃんとした物です。
何を食べても美味しくて感動しますが、漠然と食べるという行為は生き物や作物に対しての冒涜でもある気がしますし、そんな道徳的なことを持ち出す以前に、ちっとも心が豊かになりません。
ただただ腹を満たしたい、という行為は動物として正しい姿だと思います。生きるために腹を満たすというのは一番理想的です。選ぶことをしないで、有るものを食べる、それは尊い行為です。ただ、私はそんな切羽詰まった生き方をしていない。
にもかかわらず、食事に対して何のウキウキもなく、時間に追われて何かやりながら「腹ごしらえでも今のうちにしとくかー」なんて適当に無意識に食べ物を摂取する・・・ああ・・・なんという、なんというくだらない行為!!!食べ物自体には何の罪も無いのに、ひどい!!!

反省してますと書きましたが嘘でした。今こそ本当に心から反省しました。

米のメシと、あとは生卵でも納豆でも味噌汁でももやし炒めでも、はたまた外で買ってきたお惣菜でも何でもいいんです。
何でもいいから、うおおおお、これ食べるぞおおおお!という気持ちで入手して食べるご飯が私を幸せにしてくれます。

そして、お腹が満たされた時のあの幸福感ったら!
他には無い極上の幸せです。

ちなみにその「ちゃんとした」食事をとる時にはメガネかコンタクトを必ずします。食べ物の姿がハッキリと見えないと嫌なのです。
そして、食事の最中に話しかけられると嫌がります。犬と一緒ですな。
ただ、一応犬よりもちょっとだけ社会性のある動物なので、話すことがメインの場ではそこまで食事に集中しませんが。

ああ、本当に私はいつからこんなに食い意地が張ってしまったのだろうか。