この3週間にあったこと

2週間前のグランプリシリーズ・フランス大会のネット中継を朝方までニヤニヤして観て、6時間近い観戦で半ばハイになっていた10月18日の早朝。ふと電話を見ると兄からメールが。

「お父さんが病院に運ばれた。明日までもたないかもしれない」

姉からもメールが入っていた。

「電話が通じないみたい。メール見たらすぐに連絡ちょうだい」

お祭り気分は一瞬にして消え去って、一生乗らないと思ってた飛行機に乗って(私の飛行機嫌いは周囲の誰もが知っているほど)、旭川へ。

飛行場からタクシーで病院に向かう間にまたも姉からメール。

「今ICUに入りました」

なんだか現実のこととは思えないというか、意識の外へいろいろな想像を追いやろうとするあまり、それほど悲壮な気分にもならず病院へ駆け込んだ。
受付からとんちんかんな案内を受けつつICUの前に辿り着いたら、母や姉や兄や兄の奥さん、親戚の叔父さん叔母さん達が重苦しい空気の中、佇んでいた。
母が、
「自力呼吸ができないから呼吸器つけることになって、今処置してるんだよ」
とのこと。憔悴しきっていた。

その呼吸器というのは、長い管を喉のそのまたずっと奥まで差し入れて、強制的に空気を送り込むもので、管が入っている間は睡眠剤を投与して眠らせていなければいけないものだった。
父は呼吸器をつけたら私と話ができなくなるから、私が到着するまで待っていたかったと、それで呼吸器をつけるタイミングが遅くなったらしい。

バカな。目を覚ませば、いくらだって話なんてできるじゃないか。もし呼吸器がずっとはずせなかったとしても、たとえ話ができなくたって、人と人の絆を結ぶことには何の支障も無いじゃないか。この世には生まれつき、言語を使ったコミュニケーションが取れない人だっているけれど、だからってそんなことは瑣末な問題なのだ。私のことなんて待つ必要ないのに。

そう心の中で思ったけれど、もしかしたら父は、私が帰ってきても自分が帰ってこられないかもしれないと考えて、待ちたいと思ったのかもしれない。

誰も彼もがへとへとのくたくたの中、先生から病状の説明があった。肺が炎症を起こして出血をしていて、息ができない状態だという。

いざという時の為の予防線なのだろう、お医者さんのやたら不吉な言葉ばかりで構成される話を聞き、

「もしもの事態には呼び出しますからすぐに連絡が取れる状態にしていてください」

という看護婦さんの呪いのような言葉を聞き、家に帰った。