癒し

何はともあれどんなに気持ちが沈んでいても、好きな人のことを思うと気がまぎれ、やがて気分が良くなるのだ。
(今なら例えばトレント・ハーモンの映像を地方予選から観直すとか、出先などで観られない時は鼻歌で密かに再現するとか)
しかしたまに、それもできないくらい沈んでしまうことがある。外からの刺激をまるで受けたくない、拒絶したいとき。
そんな時は、昔からの必殺技を使う。
自分で架空のストーリーを組み立てその世界に没頭するのだ。
非常に子供じみていて恥ずかしいのだが、最近だとウォーキング・デッドの世界に影響を受けたサバイバルものとか。ちょっと前に自分の中で空前のブームを起こしていた次元大介の影響で、ちょっとした銃器に関する知識もばっちり。

その世界を生きる私は私であって私でなく、現実世界の友人・知人・家族らも出てこないし、時には時代や場所が少しずつ歪んでいくこともあるのだけど、現実の私の目の前に広がっている日常の風景からすっと妄想に入り、現実では有り得ない出来事が展開していくと、本当に自分がそれを体験しているような気になる。
お手軽なごっこ遊び。

これはまさに現実からの逃避ではあるのだろうけれど、私にはこれが必要なのだ。

この話をすると、
「それがお芝居の脚本づくりに役立ってるんですね」
なんて優しく言ってくれる人がいたりするけれど、この妄想はあまりに漫画じみてて行き当たりばったりのご都合主義で、台本づくりにはとても活かせない。ストーリーもキャラクターも、そもそも話の作り方の点で雑すぎて物語をつくるための腕慣らしにすらならない。
強いていうならば、そんな風に妄想に入り込む自分の姿を登場人物に投影して、「行動のおかしな人」を描くときの参考にしたりはする。

私の書く登場人物(主に女)を観た人に、
「漫画っぽい。実際にはこんな人いない。リアルじゃない」
と言われることがある。
そういう人の周りにいるのは、お日様の下を正々堂々と歩いてるようなステキな女子ばっかりなのかなあと思ってちょっとうらやましくなる。
まあ、うちの芝居を観に来てくれるような人には、
「いるいるこういう女!超めんどくさいの!リアル!」
と言ってもらえるようなことが多いのだけど。
私は私自身めんどくさいのだけど、めんどくさい人は好きだし、なんならめんどくさいくらいのほうが面白いと思ってたりする。自己肯定とも少し違うのだけど。


そういえばちょっと前まで、軽く気持ちが沈んでる程度の時に心の中でこう言ってた。
更年期障害かもね。しょうがないね」
それで、そうかしょうがないのかと思って気持ちが楽になってた。
でも今はそれをやると
「そうか…更年期障害か…」
と思って余計に気持ちが沈むようになってしまった。洒落にならないのね。

幸い今のところトレントの歌で充分癒される程度の沈み方なのだけど、それでも時々やっぱり妄想の世界に入っていくことがある。

やっぱり必要なのだ。
特にこれといった理由がなくとも。