ぐうたら論優しさバージョン

どうもここ数日、ゆらゆらぼやぼやとした気分でいる事が多いです。
天気が良くて暖かくてウキウキする反面、意識の表層部分が虚無に覆われている瞬間を感じたり(←自分で書いときながらなんのこっちゃかよくわかりませんが)。

やらなきゃいけない細々とした事が手につかなくて…。

はっ!これって心の病では?!

なんて、ぐうたらしてる時に必ず思うんですよねー。
実際に苦しんでる人が聞いたら怒るだろうなあと思いつつ。

でもさ、患ってますねと診断されて名前がつくことで逃げ道ができて救われるんじゃない?お薬も貰えるしさ。
と能天気に言ったら、
「『逃げる』ことを嫌悪する人だからこそ患うし、そんな自分が許せなくて苦しむんじゃない!」
と怒られたことがあります。
いやはや、すみません。

ところで前に、とある病と戦ってる方のセミナーに参加して耳にした言葉があります。

「私は“病気の人”になったんじゃない。“病気になった私”なんです」
と。
まずその人本人がそこにいるんだ、と。
認知症だろうとうつ病だろうと癌だろうと、その人そのものの人格を病が覆いつくすことはできないんだ、という言葉でした。

これは本人や近しい人間はもちろん(余程のことがなければ)分かっていることなのでしょうが、一瞬触れるだけの他人であっても、忘れずにいたいものです。

芝居でも若手のうちは失敗しがちなもんです。
「この人が怒ってる」ということを忘れて、「怒ってる人」という表現をしてしまう。特殊なコントの登場人物なら居るかもしれませんけどね。「怒ってる人」。

だからまあ話を戻しますと、患っていようがいまいが人間自体に変わりは無くて、目の前にある問題をどうにかしなきゃならんのは生きてる限り皆一緒な訳で。
患ってるなら患ってるなりに、患ってないならないなりに、それぞれの問題を回避するなり真っ向勝負するなり助けを乞うなりあれやこれや打開策を打ち出して行かねばならんのですよな。
理不尽さに泣き怒りしようとどうしようと。

相変わらず理屈だけはご立派、というやつですが。

よし、まずやらねばならんことを書き出そう。

脳ミソなのか心なのかわかりませんが何かしら疲弊してる時って、この「書き出すだけ」みたいなんでも一仕事なんですよねー。
肉体疲労なら気力でカバーもできるのに、精神疲労は体力でカバーできない。
あ、精神疲労時のジョギングはいいですよね。
脚動かしてりゃクタクタになるし、疲れて寝ちまえばスッキリするし。
筋トレはなー。無意識にやっても最大効果が得られない気がするから勿体ないかなあ。

そうそう。
私は、逃げることは悪いことだとまるで思いません。
逃げて隠れたからって、そこで一生隠れ住むかどうかなんて現状じゃわからない。隠れ住んでもそこに、そこでしか出会えない幸せが無いとも限らないし。
逃げて隠れて傷を癒しつつ反撃の機会を窺ってもいいし、いや、そこまで計画できなくてもとりあえず時の流れに身を任せればいいじゃないか。
どうせ先のことなんて誰にもわからないんだし。

例え「逃げる」ことを嫌悪してたとしても、目の前のそんなほんの瞬間的な行為で人間の全ては評価できないさ。

と、私は思います。

なんだか私が言うと言い訳というか自己弁護に聞こえるなー。
まあいいか、自分に厳しい時もあるんだから甘やかす時があったっていいさ。

でもちょっと説得力もたせたいから、
とりあえずそうだなあ。

やらねばならんことを書き出そう。
今日はとりあえずそんだけ。