鈍感の生み出す「洟すすり音」と「咀嚼音」、滅亡せよ。

例えば電車の中において。
何かを食べたり缶ビール飲んだり、個人的にそういう人を見ても特に気になりません。

自分では今まで特にそういった必要にかられることも無かったのでやったことないですが。
ドアのそばに立って何やら切羽詰まった顔してパンを猛スピードで口に詰め込んでる人とか、これまたドアのそばに立ってラベルを隠した缶チューハイを飲みながらのんびり窓外を眺めてる人とか、なんというか味わい深くて嫌いじゃないです。生活が垣間見えるようで。端っこに立って気遣ってるあたりもいじらしいというか。
お化粧してるのを見ても何も思わないです。隣に座ってる人がゴソゴソやってるのは鬱陶しいなあとは思いますが、離れた場所だとじっくり観察してしまいます。なかなか見られるものじゃないですからね、人のお化粧姿は。興味深いです。

ただひとつ、お化粧でも飲食でも、音(咀嚼音など)や匂いがするのは腹が立ってきます。お酒の場合は、あからさまに酔っぱらってる状態だと落ち着かない気分にもなります。

が、どれもそこまでぎゃあぎゃあ言おうとは思いません。

電車に限らず公共の場において私がもっとも許せないのは、

・洟をすすり続ける音
・咀嚼音

この二つです。
どうしても許せません。ものっすごい不快音。

ガムってあんなに音たてなくても噛めるよね?食べ物って、そんなににっちゃにっちゃ音たてないと食べられない?

洟をすすり続ける人に、何度ティッシュを差し出そうと思ったことか。
ちなみに、知り合いが洟をすすっていたらあまり躊躇せずにティッシュを差し出すのですが、過去に二人ほどから
「あ、大丈夫です」
と言われたことがありました。
ものすごく穏やかに観音様のように微笑みながらティッシュの箱を差し出したのですが、この返答を聞くやいなや、
「聞かされてるこっちが大丈夫じゃねえんだよ!!」
と、悪鬼のごとき顔で怒った覚えがあります。

言っておくけど、どちらの音も1ミリも許すまじって訳じゃない。ちょっとくらいは気にならないですよ、私ゃ。
ちょっとは遠慮しろ、と。別に疾患による洟すすりや咀嚼音じゃないだろお前のは、っていう。


食べ物屋で洟をすすり続けるというおよそ人間とは思えぬ蛮行の輩を見たこともあります。それも、
「うどんを食べるとハナが出ちゃうよねー。きゃっ。」
なんていう可愛らしいものでは無く、席に着いてから食べ終わって店を出て行くまで、
鼻の奥底にある、到底出てきそうもない固形化した巨大な痰を吸い込み続けてるみたいな音を、店内中に響く渡るほどの音量で!!!
ずうううううーっっっと!!!(←時間を表したつもりだが、擬音みたいになったな)
そいつはちなみに、席を立って店を出て行く時に、人々の並んだカウンターの脇を通りながら盛大に咳を吐き出してました。もちろん堂々と前を向き、口元を覆うこともせずに。

でね、そいつもそうなんですが、公共の場で不快音を撒き散らかす奴っていうのはまず例外無く音楽を聴いているのですよ。両耳にイヤホン突っ込んで。
もしくは何かにとり憑かれたように携帯電話をいじってるか。あるいはその両方か。
完全に己のプライベート空間を作り出し、そこに入り込んでるんですな。

恥を知れ、恥を!!!
貴様は外界の音をシャットアウトしてるかもしれねえが、貴様の発する音は外界に漏れ出てるんだよ!!

さて。
「例外無く」と書きましたが、先ほど電車に乗ってたらなんとこの説を覆す光景を目にしてしまいました。

彼は、
何も耳に入れておらず、
何も手に持っておらず、
窓外の景色を眺めたり、
電車のアナウンスに耳を傾けたりしながら、
15秒に一回くらいのペースで、
豪快な洟すすり音を発していました。

それはもう、前述のメシ屋の洟すすり男とこいつとで両横綱だね、くらいの音量で。
笑っちゃうのが、両横綱とも綺麗にめかしこんでて、時折髪の毛いじってんのね。
ホント、世界=オノレなんだなあ。自分のことしか気遣えないんだなあってね。
っつうか、食い物屋とか電車の中で髪の毛いじりまわしてんじゃねえよ。


ほか、公共の場において私が許せないのは、

・傘の先を後ろに向けて歩いている人。更にその持つ手を前後に振ってると最悪。
・電車で、明らかに足腰弱そうな爺さん婆さんや杖ついた人が目の前に立ってるのに、そしてそれに気づいてるのに気付かないふりをしてる人。そんでもって、ジャンプとか読んでんの。てめえ元気なら立てや。
・雑踏で人を肘で押したり、あからさまに乱暴に押しのける人。当たっちゃうのも押しちゃうのも混んでりゃある程度仕方ないけど、そんなにぐいぐい押してもその人の前にも人いますからね。
・電車のドアの前に立って、駅に止まっても動かない人。何故降りない?何故どけない?しかも何駅も何駅も同じことを繰り返す。学習しないのか?
(これはでも、心の旅に出てるっぽい人の時もある。頼むから通してねと言った時くらいは通してちょ。)

話し声がうるさいなーとか思うこともあるけど、これは自分の精神状態が穏やかな時なら平気だったりするので、おそらく自分の問題というか、許せること。
電車の中での携帯電話は最近ちょっと自分でもよくわからない。携帯いじりたいなら優先席の近くに立つなよとは思うし、座席に座って堂々と話してるのもうるせえよと思うけど、隅っこに立ってまったく耳障りじゃない甘い声で穏やかに話してたら気づかなかったりするし、それなら別にいいかなあとか思うのだ。私は電話だと張り切って大きい声出しちゃうので電車内での通話は無理だな。
あと、病院とかお店とかではやっぱりダメかな。

そういえばここ数年、子供連れのお母さんが、子供が靴のまま座席の上に昇るの(座るんじゃなく、立つのね)をまったく注意しないのをよく見るんだけど、日本はそこまで欧米化が進んだのか。
私は土足もあんまり気にならないんだけど(自分も路上で平気で寝転がったりしちゃうし)、あまりに当たり前のようにやられると、やっぱ注意したくなるんだよね。


要は、公共の場にいるのに周りのことが見えない見ようともしない鈍感さに腹が立つんですな。己の世界にいたいなら、己の部屋から出てくるな。
世界に出てくるならば、嫌でももう少し歩み寄れ。と。