カマキリすきー

カマキリが好きです。
虫が嫌いな私でも、美しさに見とれてしまうその外観、そして自分の何倍もある人間と相対しても決して背中を見せず、それどころかカマを振り上げ臨戦態勢に入るその気概と言うか心意気。見事な生き様。

何度か書いたことがありますが、食物連鎖の上の方にいる生き物が好きです。
っていうと何だかおかしいのだけど。
捕食される側だって好き好んで捕食されてる訳じゃ無し。
ただ、強い生き物には風格があります。それが美しくて好きなのです。
クモも好きだけど、クモとカマキリは美しさの種類が違うように思えます。クモはもっと賢いのではないかと。
クモは負け戦に挑むようには思えません。
武力派のカマキリと、知能派のクモ、のような。それくらい両者の魅力は違うようなイメージです。
知恵と力。王者に必要なものです。

そんな訳で、部屋に紛れ込んだカマキリを箒ではたき出すのは申し訳ない気持ちになります。
でも、素手だと怖くて手が出せない。もう、この気持ちの時点で私の負けです。

人間は脆弱なぶん道具を使うだけの知恵を授かりましたが、私は私が創りだした訳でもない道具で偉大な生き物に立ち向かうのは嫌です。

もしも強い動物に襲われたとして、逃げ切れなかったら諦めるしか無いという覚悟でいたいです。
でも、死ぬのはイヤ。
だから強大な生き物がいそうな場所には近寄りません。
熊、怖いです。シャチ、怖いです。

もしも動物園の動物が逃げ出して、自分がその場に居合わせたのなら仕方ない、と思います。思いたいと思います。必死に逃げるけど、逃げ切れずそこで最期を迎えるとするなら、その時は恨むことなくその牙に切り裂かれたい。その後その動物がどういう運命をたどるのか、知ることがないだけ幸せだと思いたいです。
だって、とっつかまえて(あるいは交配させて生み出して)無理やり人間界においてるんだから。
それを眺めているんだから、私は。
捕まえて飼育している目的が保護だろうとなんだろうと関係ない。
だからもし銃を持ったプロフェッショナルが間に合ったとしても、それで命を救われたいと思いたくないです。
安全なところで、他者の命が翻弄されているのを眺めているだけなんて、それは醜悪な気がします。最期くらい、動物に敬意を払いたい。

でもまあやっぱり死ぬのはイヤなので、私がこの腕で戦うことで生き延びたいです。あるいは、知恵を絞って逃げ切りたいです。無理かな。まあ無茶はわかってるけど奇跡が起きるかもしれないし。

目の前の敵に対して、カマキリのように勇敢に愚かに立ち向かいたいです。己の肉体ひとつで。


ところで。
人が飼い犬に襲われるニュースと言うのを少なからず耳にします。
何の落ち度も無く襲われるなんてひどい話です。襲われた人はひどい災難だし、襲った犬も不幸です。双方まったく悪くありません。
大きくて強い犬をきちんと制御できない飼い主は厳しく罰せられるべきです。もしもその犬が人を殺したのであれば、過失以上の罪が飼い主にはあると思います。被害者の人間と犬と、ふたつの命の責任を取らねばなりません。

犬は、残念ながら矯正ができないのであれば処分されねばなりません。
犬に人間界での罪は適用されません。それでも、そのままにしておくことはなりません。私は犬が好きだけどそれでも、矯正できずに人を襲い続ける犬はそのままにしておけないことはわかります。わからないとなりません。
そういう人間のルールに基づいた世界に犬を生かしているのだということ。それ自体が罪深いということを自覚して、人間は生きるべきだと思います。

犬のリーダーになるべき資質の無い人間は、犬を飼ってはならない。特に大きな犬を。
そのことをもっと万人がわかっていないと、可哀そうな被害者はいなくならないでしょう。

なんか翻訳したみたいな文章だな。
ただただカマキリへの愛を語ろうと思ったのに、なんだこの文は。

性格的にリーダーになれない人は猫を飼うといいよ。もしくは鳥。あるいはうさぎやハムスター。
責任感が無ければそれも無理だけど。

あーカマキリいいな。春が待ち遠しいです。
なかなか遭遇できないところが、また私の心を惹きつけます。