褒めてみようシリーズ、その4・杉浦直 編

すぎうら ちょく

である。
例えるならば、犬である。犬のように単純である。

真っ直ぐに怒ることができる。怒られてしょげることができる。バカ正直に笑うことができる。笑われて喜ぶことができる。
喜んで尻尾を振るけれど、突然に唸り声をあげたりもする。
可愛いけれど決していいところばかりではない。自分の感情に素直でワガママで、気にもかかるし手もかかる。

人柄をとっても芝居をとっても、
「この人は凄くいいね!」という評価と
「この人は全然ダメだね!」という評価が同時に存在する。

役者として裏方としていろんな技術を身に付け吸収し、飲み会や仕事の場では人々を繋ぐポジションとして重宝される。プライベートでは蕎麦打ちだの居合いだのキックボクシングだの、いくつもの特技を持っている。
そんな一見器用そうな杉浦直だけれど、致命的な弱点がある。まったくもって自己分析が下手なのだ。己の良さも欠点もまるでわかっていないのだ。できていないことをできていると思い、できていることをできていないと思い込んでいるのだ。
だから時々びっくりするような失敗をしでかすのだ。

「自分の心次第でどんな未来も手に入れることができる」
というのは全ての者に当てはまる言葉だと私は信じている。後は何かきっかけを手にしさえすれば、人は望むものを手に入れられると。
しかし杉浦直の場合、そのきっかけを手にするのが今日なのか30年後なのかさっぱりわからない。
すぐにでも手に入れそうな器用な顔と、そんな日が本当に来るのかどうか疑わしいような不器用な側面とを併せ持っているのだ。

あ、しまった。褒めてないや。

こんな風に、ついついダメ出ししたくなるのが杉浦直のちょっとした長所のひとつだろうか。
そして、いかなる状況において、いかなる関係性の相手からされたダメ出しであっても、全て受け止め己を省みることができる、それが最大の長所のひとつだろうか。

犬は現在を生きる動物である。いかなる過去があろうと(接する側の心がまえと行動によって)悲しみも怒りも忘れて幸せな今を生きていける(参考論説:シーザー・ミラン氏)。

犬のように常に今を生きていける、未来に向いて歩いていける、そういう男なのだ、杉浦直は。

犬が本気を出せば人間なんぞとてもじゃないけど敵わないように、
杉浦直が本気を出せば、きっと我々なんかてんで敵わないのだ。