フェミニストの呟き

※「フェミニスト」。ホントの女権拡張主義の人は、この誤解有る、『男は女をちやほやすべき』みたいなまったく逆の意味で使われるような言葉で自分たちを括ることはしないそうです。
まあ、とは言えエセ女権主義な私にはちょうどいいくらいの言葉です。

呟きます。
なんでただの飲み会を「女子会」なんていう言い方するんでしょうか。あ、飲み会に限らずお茶したりとか?メシ食ったりとか?も。
女だけで集まって何かすることが殊更珍しいものである、みたいな。わざわざ呼称をつけるあたりが私には社会における根強い男根主義を感じさせ、醜悪に思えてなりません。
歳とると、女ばっかりで飲むのってラクでいいなあと感じるようになりましたが、だからってなんでその性別を主張するのか。
男ばっかりで飲むこともいずれ「男子会」なんて呼ぶようになるんでしょうか。もう既に呼ばれてたりして。
なんつうか、男女七歳にして席を同じゅうせずって感じで。逆行してますな。

ついでに、成人に対して「女子」とか「男子」とか言うのにも違和感ありますが、まあこれは必ずしも子供だけを表す言葉では無い(筈だよね?確か)ので、そこはまあいいとして。自分では使わんけど。
50男を「男子」とわざわざ呼んだりするのが面白いとちょっと前まで思ってましたが、社会の幼児性が強まってきたので今はあんまりやりません。

エセな私と言いましたが、女権主義でありつつも男尊女卑的な言葉をよく使います。
女子供、という言葉を侮蔑的に使いますし、
「所詮女は」
なんて言ったりもします。
ああ、でも
「所詮男は」
っても言うので必ずしも男尊女卑ではないかもしれない。
「所詮犬畜生」
なんても言います。賢くて可愛くて犬大好きだけど。
まあ、世の中みんなそれぞれ頑張ってて可愛げがあって、特別凄か無いけど私は大好きだよ、という意味をこめてると思っていただければ。
逆に、
「女ってすげえなあ」とか
「男ってすげえなあ」とか
「犬ってすげえなあ」とか
「蜂ってすげえなあ」とか
言ったり思ったりも勿論します。

蔑んだ言葉で形容しないのは、大型猫科動物とか、シャチとかクモとか猛禽類とか、かな。その世界での王者ともいえる絶対的強者は愚弄する隙すらありません。
そういえばワニとかクマは、怖過ぎてあんまり尊敬の対象にはならないです。ただただ恐怖のみ。


話を戻しましょう。

エセとは言え女権主義的な私ですが、男と女を何から何まで平等に扱うべき!とは思いません。
肉体の構造や向き不向きが違ってたりするし、脳みその働きもやっぱり多少違ってるんじゃないかなと思うし。
ただし、人によっては男のような能力の女がいたり女のような能力の男がいたりするので、必ずしも性別だけで全てを振り分けて考えるのは乱暴だなと思うのです。

例えば女優さん。
女優は美しくてカッコいい方がうっとりするけれど、がさつで能天気でブサイクな女優も面白いと思うし。女優は華やかで高慢ちきで自意識過剰で高嶺の花な方が絶対いい!と思うけど、人が良くて気さくで素直で地味に地道に生きてる泥臭い女優もそれはそれは好きなのです。
いろいろだと思うのです。

記号を使って人間を振り分けるのが管理社会の第一歩なんだろうなということはわかりますが、私はそれが好きじゃないのです。雑然としているのが好きなのです。
だいたい、記号で分けきれないからいろいろと社会のシステムに困った問題が生じる訳で。
裁判の経過や判決なんか聞くと特にそれを思います。もう、全てに一律通用するような決まりを作ることなんか無理で、だから毎回裁判は被害者も加害者も裁判員も苦労するんだろうなあとかね。

くそったれな女どもを甘やかすんじゃねえ!と思うと同時に、男どもが威張りくさった世の中なんてクソ喰らえ!とも思うのです。
人のいう事を聞かない人間に勝手なことするな!と思うと同時に、何でもハイハイ聞いてんじゃねえよ、つまんねえな!と思うのと似てる気がします。

混沌とした、雑多な世の中が好きです。
そして、記号による管理が殊更に必要な訳でもない小さなコミュニティーの中でまで、わざわざ性差を強調し縛り付けるという行為が嫌いなのです。

冗談で言ってるのかな、とも思うけれど。
私が「男の美学」という言葉を愛しくも滑稽だなと笑いものにするのと同様に、「女子会」とか「女子力」とかいうメディアが流行らせたであろうつまらない言葉をわざと使うことでそれを揶揄しているのかな、と。
でも、本気で使ってるみたいなお嬢さん達もいるし。大体どういう意図にせよそうやって性差を際立たせる言葉が世の中に蔓延するのが嫌。

というかそもそも、性別がどっちであろうといいじゃないかとすら思ってるのでなおのこと。

男同士であっても、他人の前で裸を見せたり見せられたりするのが嫌いな人がいるんだし。男同士だから別にいいでしょ、とか「お前オカマかよ!恥ずかしがるなよ〜!」みたいなのも(←最低の差別と無知である)セクハラだし。

私が言ってることを究極まで突き詰めていくと、着替えも男女の別なくとかそういうところまでいっちゃう気もするし、そうなるといずれは「欲情する」ということ自体が無くなっていくんじゃなかろうかという気もするので、それは嫌だなあとか矛盾に苦しむのだけど。ドキドキはやっぱり必要だもの。恋とかセックスとか、必要だもの。
やりたくない人は今でもやらなきゃいいと思うけど、性別分けを無くした結果、全人類が万が一発情しなくなっちゃったらつまんないよねえ。


しかし少なくとも、友人同士とか仕事仲間みたいなところに共に属してる、信頼関係のできた相手に、無闇やたらと欲情するのはどうなのかなあと思うのです。なんか自給自足って感じで好きじゃないんですなあ。
これは完全に私の価値観(恋愛観とか)なので益々同意してもらえない意見だと思うけど。
っつうか、そこを否定したらじゃあどこで知り合って恋に落ちればいいのかとなるんだけど。

なんつうかね。この際だから告白するけども。
尊敬する相手には欲情できないのです。好きだ!と思う段階まではいくので、その気持ちにつき従ってアタックしたり交際したりもするけれど、根っこに強い尊敬の気持ちがあって、そして更に信頼関係が築かれてくると、仲間としてずっと共にいたくなる。むしろ恋愛というその場限りのくだらんものを持ち込みたくなくなってくる。
なので、そういう相手とは別れてむしろ永遠を手に入れたような気がして。今でもずーっと恋愛外の部分で付き合っている人もいたりする。
そういう人には「元カレ」なんつー情緒もへったくれも無い、人格無視の代名詞は使えない。

あんまり良く知らないような相手、それも自分が見下してるような相手の方が欲情できるのです。
まあ、だから多分一生結婚できませんな。いや恋愛と違って結婚ならできるかもしれないけど、仲間感が強まるにつれセックスはできなくなり、でも私は性欲も豊富に持ち合わせているので他に欲情の相手を見つけてしまうと思う。そんなの、嫌。

なんて歪んだ恋愛・結婚観。

まあともかく、無くてもいい性差を強調するのは私は嫌いだってことです。