しゃーわせ

おそらく世間的には日常的なメニューなんだろうなというようなオカズを、
「すげー!うめー!幸せー!!!」
と言って食すことのできる私は、たぶん相当な幸せものだと思う。

大食漢では無いけれど、食い意地が張っていることは間違いない。
そんでもって、食べ物が好きで本っ当に良かった。
いろんな食べ物が食べられて、日本人に生まれて良かった。

他の国に生まれても、
「●●が食べられて、●●に生まれて良かった」
って思うかもしれない。

そんで、こうやって幸せ実感する度に
「ああ、どうか世の中から飢える苦しみというものが少しでも減りますように」
と思うのだ。
子供でも大人でも赤子でも老人でも、ご飯が食べられる幸せが世界人類に行き届きますように。と思う。
本当に思う。
食い意地から世界平和を願うことだってあるのだ。

でもねえ・・・こういう食べ物への感謝って、結局平和だからこその余裕なんだなあと思うとねえ・・・。
なんだか怖いねえ。美味しい美味しいと食物を摂取しているこの自分の能天気さが。
食い意地で世界平和を願うことはできるけど、世界を救うことは・・・できるかな?できないのかな?できるんじゃないか?
とりあえずユニセフに募金をしよう・・・。

そんな食い意地に支配されている私は、アイヌの人たちが熊をしとめて、
「おお、熊の肉が食べられるぞ!熊の神様ありがとう!」
と感謝して熊肉を食べるような信仰が素晴らしいと思うのだ。神様を食べるって、何てすごい考え方!神様ありがとう!
神道における八百万の神には熊の神様も入っているのだろうか。ありがたやありがたや。

とりあえず今日は、水菜の神様、もやしの神様、豚の神様、お米の神様、大豆の神様、しじみの神様、ええとあと何だ。鶏(の卵)の神様、苺のショートケーキの神様ありがとう。

美味しく美味しくいただきました。
いただいた命をエネルギーにして、今日という日を大事に生きます。

お米を食べることができるっていうのは、それだけで何と豊かなことなんだろうか。加えて野菜や肉やいろいろなものが!
ご飯が食べられて芝居ができて、私は本当に贅沢な幸せ者だと思う。ありがとうありがとう。

そういえば子供の頃に兄から、
「お前は餓鬼みたいな奴だな」
と言われたことがあったなあ。

昔も今も強欲でございます。