※感情と理性の激しい攻防戦をお見せします

これから先も積極的に関わっていこうと思う相手でなかったら、怒る必要は無い。
そう自分に言い聞かせる。そうでないと、腹が立って腹が立って、そして腹を立てれば立てるほど、自分という人間の小ささ、性根の汚さが露わになってきて、嫌になるから。
これから先、自分とはまったく関わり合いにならない相手なのだから、何も教える必要は無いし何も求める理由も無いのだ。そう、そうなのだ。


相手から拒絶されてどうして腹が立つかといえば、自分を軽んじられてる・なめられてる・ないがしろにされてる、ということを感じるからだと思うのだけど、じゃあそもそも自分がそんな風に軽んじられる程度の人間だったんじゃないのか、と。
尊重されるに足る人間では無かったんだ、と。

「それにしたって礼儀ってものがあるだろ、てめえ!何回業務連絡送ってると思ってんだ、一回くらい返信してきやがれ!」
と言うのは簡単だけど、相手を正そうとするよりも自分を正す方が実りがある。他人を思い通りにはできないし、それこそ、自分は人を正す資格があるようなご立派な人間なのかと言われれば決してそうではないこともわかっているし。
自分に対してどこからどう突かれても胸を張れるくらいでないと、相手の人間性にまで口を出すのは滑稽なものだ。

ましてや、その相手とこの先も共に生きていこうとか一緒に芝居を創っていこうとかいうような気が無いのであれば、尚のこと。

本当のことを言うと、その相手とそんな関係を築きたかったんだろうと思う、私は。
相手に対して私はもっと怒ってもっと正して、気づいたことは何でも口に出したかった。そういう関係であれば、自分のことなんていくら棚に上げても構わないと思っている。相手が知らないことは教えたかった。おこがましいなんてこれっぽっちも思わずに、ささやかながらも私が今まで培った経験と知識を分け与えたかった。そして相手にも同じように私に関わって欲しかったんだと思う。
でも、相手はそう思わなかった。

結局そこに悲しみを覚えてるんだと思う。寂しさを感じてるんだと思う。それが怒りにすり替えられてる、もしくは怒りを伴ってるんだと思う。
その根っこにあるのは結局、自分がその程度の人間だったということを思い知らされ、惨めさを感じているからだと、そういうことなんだと思う。

考えてもみろ、今まで私がどれだけ先覚に失礼をしてきたか。そして赦されてきたか。今だって何も変わってはいない。先達だろうと後進だろうと私が礼を尽くさねばならない人間はたくさんいるのだ。人のことをあれこれ言ってる場合ではない。

「理屈じゃねえんだよ、むかつくんだよ!今のてめえの状況を自分ひとりで手に入れたとでも思ってんのかよ!縁をつないだのは誰だと思ってんだ、クソが!」
と言えたらどんなに楽か。しかし最低限の恥の意識がそれを押しとどめてくれているのだ。
恥を忘れてしまったら、本当に私は卑小な人間に成りさがってしまうだろう。

「っつうか、例えこの先2度と関わらない相手にだって最低限の礼儀は欠かしちゃならねえんだよ!だいたい2度と関わらないかどうかなんてわかんねえだろうが!この世界は狭いんだよ!そんなんでこの先やっていけると思うなよ!」
私もメール返信しそびれたりすることあるではないか。あれはいけないことだ。どれだけ相手を不快にさせているか、ようやくこれでわかったと言えるではないか。
でも私の場合は後々フォローしてるけどね。人間関係の自然消滅なんて言語道断だと思ってるけど。

いや、己を甘やかしちゃならない。日々精進だ。それしかないのだ。人としても芝居を創るものとしても。

そして私はことこの場所では万能でなければならない。
見栄を張ってでも万能でいなければならないのだ。

しかしここまで読んでくださった方にはお分かりの通り。
見栄を張りきれないくらい、怒髪天を衝いとります。

少し時間が経ちゃ忘れるんだろうけど。感情的だけど忘れっぽいのが救いだわ。ぷんぷん。