我が愛しの住家

上京して10年。私は下北沢のアパートで暮らして来た。
築(おそらく)40年(くらい)、風呂無し、床にも天井にも穴が空き、玄関のドアはきっちり閉めても隙間から外が覗けるという、絵に描いたようなボロアパートである。
だが私はこのアパートにたいへん愛着があるのだ。

他の部屋の住人が何のテレビを観てるかもわかる程の壁の薄さ。それ故に皆開き直って、近所迷惑など考えることなく夜中に宴会をしたり大音量で音楽を聴いたりAVを観たりしている。いびきすら筒抜けだが、誰も苦情を言ったりはしない。お互い様なのだ。
私も、堂々とセリフの練習をしたり夜中でも洗濯機を回せる環境に感謝していた。

目の前の道路は幅が狭い為に車があまり入って来られないので、猫を外飼いするのにも適している。おあつらえ向きに鉄格子の嵌まった台所の窓を常に開け放し、猫が自由に出入りできるようにしている。
まあ、契約上は飼ってはいけないのだが。

広い窓は大家さんの家の庭に面しているし、教会と墓地に挟まれた立地条件も趣がある。怖がりの私だが、何故か引っ越し当初から、隣りの墓地を怖いと思った事はない。むしろ落ち着くなあと思ったり。

寂しさを感じる夜は眼下を走る環状七号線を行き交う車の音に耳を澄ませ、「ああ、まだみんな起きている」と思うと心が安まった。

そんなお気に入りのアパートであるが、とうとう今年中に引っ越すことが決まった。
環境としては抜群なこの部屋を出ていくのは惜しいのだが、大きな地震の度に死を覚悟しなければならないような安普請のボロアパートなんで、早いうちに引っ越した方が良いかもとは前々から思っていたのだ。
というか、そんなアパートだからこそ、今年中に取り壊される事になったそうなのだ。

近頃の私は、今と同じくらい伸び伸び好き勝手できる住みかが見つかるだろうかという不安、そして、引っ越しの際には今まで大掃除の時ですら見ない振りをしてきたアンタッチャブルな箇所にも向き合わなければならない事の恐怖に胸を痛める毎日を送っている。

大ナメクジに、ネズミに、虫達。特にあの、例の黒い奴。
次の引っ越し先にはそういう先住者がいないことを切に祈る。