女性専用

JR函館駅に、女性しか入れないパスタ屋がオープンしたそうな。
前にあった店が業績不振だったこともあり、リスク覚悟で話題性の為に女性専用にしたという。

パスタを食うのに性差が…?

ここ数年に現れた、電車の「女性専用車両」。あれに対して、私は批判的である。

実際、毎朝ラッシュ時に通勤せざるを得ない環境にいて、頻繁に痴漢に遭い、時間を多少ずらしたり車両を変えたりしても被害に遭い、もういい加減うんざり!何でこんな目に遭わなきゃならないの!と怒っている女性も世の中には少なからずいるだろう。
私は幸い(あるいは不幸な事に)、痴漢に遭った経験が皆無なのだが、夜の歌舞伎町を歩いていて、何の取り柄もなさそうな不細工で不躾な三流ホスト共に声を掛けられるという経験ならある。あれには本当に腹が立ったものだ。
初めのうちは一々喧嘩ごしの対応をしてたのだが、相手が全然ひるまないのと、あまりの数の多さとに、うんざりして無視するようになった。最近は夕暮れ以降の歌舞伎町に行くことはないし、噂では客引きが規制されたようなので状況が変わっているかもしれないが、一時期は本当にひどかった。

私が客引きとの戦いに疲れたように、女性専用車両に乗る人の中には、痴漢との戦いに疲れた人もいるかもしれない。
しかし、女性専用車両の存在は、個人の被害を減らせても、根本的解決にならないのは言うまでも無い。逆に、専用車両を作らなければならない程に痴漢が多いなら、そんな避難所を作っている場合では無いのだ。
「痴漢されたくなきゃ女性専用車両に乗ればいいだろ」
そんな悪態をつく人間が新たに生まれてしまうだけだ。

快適な生活を送る権利は侵害されてはならない。だが、現実には数々の性犯罪が存在し、圧倒的に女性が不利益を被り不当に貶められ蔑まれる世の中である。
他の多くの動物と同じように、ヒトにも、性の違いによる肉体や能力の違いがある。だが人間社会にはそれを超えた男女差別が存在している。

私は、女に生まれた事自体がハンデであり、ハンデを持って生まれた以上はハンデを持たない人間(=男)よりも頑張らなければならないと思っている。悔しいがそうなのだ。
楽に生きられればそれに越した事はないけれど、私が生きたいこの国では、楽は権利の放棄と、苦労は権利の取得とワンセットなのだ。私は後者を選んだ。