つまらない奴

流行に疎いとか遊びを知らないとかいう人は、「つまらない人ね」と言われる事が多いようだが、私が一番つまらないと思う人間は、「好きな食べ物なんですか?」と聞いた時に、
「特に無いなあ。好き嫌い無いから何でも食べるよ」
と答える人である。
こちとら、食べられるかどうかの話をしてるんでは無い。自分の好きな物に対して大いに語り合い、より一層親しくなろうという狙いなのだ。

こっちが、「そうなんですか。嫌いな物が無いっていいですよね。あ、じゃあ最近、食べたいなって思う物あります?」と食い下がっても、
「うーん…特に無いなあ。」
となる。そーいう、食に対して目を輝かせない人には何の魅力も湧かないし友達付き合いする気も失せる。

嫌いが無いという事は何でも食べられるという事で、それだけ幸せの幅が広がるし栄養的な点を考えても結構だ。しかし、好きが無いって、つまらないだろ。

自分の為に死んでくれた生き物を食すのに、好きだとか何とか言うのは冒涜だ、と唱える人もいるだろうし、その考えにも一理ある。でも、何でも美味しく有り難く食べている中で特に好きな物があるって方が自然じゃないか?

私は味音痴かもしれない。あまりに人工的な味がする物(某ファーストフードの人工調味料味の味噌汁とか)は嫌いだけど、それ以外で味付けとか鮮度とか質に対する不満が生じる事はほとんど無いのだ。
せっかくの美味しい食材なんだから杜撰な調理は勿体ないとは思うけど、たいていの物は美味しくいただいている。すごく幸せだと思う。
そして、そんな美味しくて好きな食べ物達の中でも、ひときわ好きな海産物や青野菜を食べた時は極上の幸せを味わう事ができる。
と、好きにも等級があるのだが、この差別は傲慢か?他の生き物の命を食らって生きているのに、何を今さら。

「全ての人間を平等に好きだ」
という人に会っても、私はやはり「つまらない人」と思うだろう。人間に生まれたのだから、煩悩に塗れ、好き嫌いに翻弄されて生きる方が楽しいに決まってる。
嫌いな物は少ない方が幸せだけど、好きな物は多ければ多い方が楽しいに決まってる。

結果的には同じだが、「嫌いな物はありません」というより、「あれも好きこれも好き…あれっ?結局何でも好きだあ」
と言って欲しいな。何故ならそこに、愛が存在するのが見えるんだもの。