相方

たまに恋人の事を“相方”と称する人がいる。
ある程度成熟したお姉さんなんかが言ってると、英語で言うところの“パートナー”という意味合いが感じられ、なかなかに素敵だ。
だが基本的には“相方”と聞くと「お笑いの」と連想してしまいおかしく感じる方が多い。

“相方”―私の相方は4つ年下だ。お笑いコンビを組んで、もう丸7年を超える付き合いとなる。
私はたいてい自分と同年代くらいまでの若い女子の事は、多少の侮蔑を込めて「女の子」と称するのだが、相方に関してはそう呼ぶ事はほぼ無いと最近気付いた。相方は“相方”以外の何でもない。友人でも仲間でも女の子でもない。
何だろう、この世にただひとつの関係性を持つ相手と言おうか。

お笑いの世界に足を踏み入れた頃は、“相方”というものを今よりもずっと神聖視していた。
私はよくわからないけどお笑いコンビにとって相方っていうのは何より尊重し深い絆の元に結ばれるべきものなんだ、と。
それは思春期の親友観とも似ている。
私たちは親友だから―という言葉による呪縛。
「親友なんだから隠し事しちゃいけない」
「相方なんだから信頼関係を持たなきゃいけない」

だが如何なる場合に於いても、大仰に言葉を振りかざしているうちはその言葉の持つ真の意味が生まれてはいないものだ。

先日、とある仕事を相方ではなく別の女芸人と組んでやった。相方が芝居の稽古で来られなかった為、急遽頼んだのだ。
その女芸人とはほどほどに長い付き合いで、気の置けない仲である。私は彼女の事を面白いと認めてもいる。
だが、相方と組むのとは決定的に何かが違った。
悪くないが、悪くないだけで良くもない、そんな感じに終わった。
これは彼女に対しての評価ではない。私自身の、である。

決して彼女に対しての遠慮が生まれた訳ではないし、気が合わなかったんでもない。それ以前の問題だった。

彼女は慣れない現場であるにも関わらず、己の力を発揮できていたと思う。
私の方は、自分はこんなに能力が低かったのかと愕然とする程、過去最低の仕事ぶりだった。

そこで初めて、相方と自分は相互作用で力を強めあっているのではないかという事に気付いた。
どちらか一方が優れているからコンビとして良い、というのでは無く、2人でいる事により個人の能力も2倍、3倍に増すというか。