これぞ神様の力
初詣に行ってきました。初って言うか今年最初で最後の詣でっていうか。
お願いしたい事がたくさんあり過ぎて家を出る前に頭を整理してから行ったのですが、いろいろ突き詰めて考えた結果、私の今年のお願い事は
「自分と自分の大事な人たちが健康でありますように」
に落ち着きました。
他のことは、試験でも勝負事でも仕事でも恋愛でもetc.etc.まずは努力をするという道がある訳で(努力できるのも才能のうちなので、努力できますようにっていう願いもあるだろうけど)。その一方で病気とか怪我とか事故とか事件とかいうものを遠ざけるには、これはどんなに気を付けても自力では完全に回避しきれない。ということはこれこそが神様へお願いするべき最優先事項なのではなかろうかと。
お正月にぺろっとお願いするくらいじゃ神様だっていちいち叶える義理もないだろうけどそれでもね。
その次にくるのが、努力でどうにもならないこと(なんだろう?妊娠とか出産関係とかかな。結婚も努力だけでどうにもならない時もある気がするなあ。あとは自分じゃなくて自分を取り巻く家族環境についてだとか。挙げてくと結構ある気がする)についてのお願いかな。
もちろん努力の道においても、自分の努力プラスαっていうことで神様にお願いするのは有りだけども。
やっぱり健康第一です。生きて健康であること。どうかどうかそれだけください。それだけと言いつつ大それた願いではあります。
とにかく今年の私の一番のお願い事は、「自分と自分の大事な人たちが健康でありますように」。特に自分以外の人についてのお願いは、あまり勝手に余計なお節介できないのでこれくらいシンプルに。
シンプルに。なのに、「自分の大事な人」の項目が多いため、名前を羅列するだけですごい時間がかかりました。超ハイスピードで心の中で唱えましたよ。
そんな訳でなかなか長いお願いをして、お守りを買って帰ってきました。
実は初めてちゃんと参拝に行ったのです。いい年して。作法とか初めて調べて。
今まであまりに曖昧にお参りしてたので、この無礼者ってんで神様のブラックリストに載ってるんじゃないかと思うと怖いです。神様はそんなに暇じゃないよーとか、神様は心狭くないよーとか聞きますけど、いやいやいや、神様って結構短気だし根にもつし仕返ししまくってるでしょいつも。
やっぱね、舐められちゃいけない訳ですよ神様は。神様どうぞよろしくっすー。なんて言ってくるアホにはやっぱり神罰を与えなきゃいかん訳です。神様は怖いものなんです。
でもでも今日は心を入れ替えてきちんと参りましたので、どうかどうか何卒。
おみくじも引きました。そして熟読しました。おみくじも、初めて引いたわけじゃないけどこんなにちゃんと読んだの初めて。いつもさらっと読んでお終いでした。ホント罰当たり。
おみくじって歌が書かれてるのですね(←気に留めたことがなかった)。読み解こうと思ったらすぐ下に解説が書いてありました。至れり尽くせりだなあ。
内容について、いくつか気になったのはこちら。
学問 自己の弱さに負けず勉学せよ
意志弱いですからね!改めて肝に銘じます!
争事 我意を張れば損有
人生ずーっと我意を張ってますね。今までの争いごとにおける我意については損も得もプラマイゼロって感じではありますが、確かにもうそろそろそういうのは辞めたいです。
願望 あせらず騒がずゆるゆる進めばよし
非常に汎用性の高いメッセージです。私が何か今心に願うことがあるとしたら、いろんな解釈をして希望を持てそうな。もうちょっとじっくり胸の内に落とし込んだらもっと深いことに気付きそうな気もするような。
もしかしておみくじって、今現在悩み事とか願い事が無い状態で引いてもあまり意味が無いのでは?
意味が無くはないにしても、何か指針になる言葉が欲しい時の方がより楽しめるような。
百円だし、そこまで考える必要も無いのかな。軽い気持ちでお手軽に何かのきっかけになるとイイネ!くらいのライトなものなのかな。
と軽薄に書き綴っていたところ、今の私が悩んでも苦しんでも無い、欲しい物も願い事も無い(人のことで願い事はあるけど)という完全に人生の凪状態だということに気付いてしまいショックを受けています。いや、苦しみや悩みは要らないにしても欲しい物も願望も無し?
そもそも今までに、何かヒントが欲しいような、何かにすがりつきたくなるような重要な事態に直面した時期ってあったっけ?
あったような気もするけど具体的には思い出せない。過ぎ去ってしまったら大抵のことが大したことなかったみたいな。そんなイージーモードな人生を歩んできたのか、私は。もしくは激烈に記憶力が無いか。あるいはその両方か…。
いや、そんなことない!すっごい欲しくて、欲しくて欲しくて手に入らなくて絶望したことだってあった!欲しくて欲しくて我慢せずにもぎとったことだってあった!
大丈夫!記憶力が無いだけ!
その昔、「煩悩の夜明け」という脚本を書いたことがありました。今思えば不完全で未熟な作品でしたが、欲求とか欲望とか胸の内にたくさんの利己的なものが渦巻いてこその人生だよ!というテーマは、昔も今も私の根っこの部分にあるものです。何より大事なのは己の欲求であり、それを第一に持つべきである。でもだからこそ己の為ではなく他者への献身というものには価値があり、それを目にした時に人は感動するという。
とは言えかように美しき他者のための行動というものは私の芝居には滅多に出てきません。何故ならそのような行動はそう簡単に起こり得るものではなく、観客の涙を誘うためなどという理由で容易く物語に組み込むような、そんな安っぽい扱いをしてはならないから、という考えによるものです。
例えて言うなら、セックスって好きな人とすると本当に気持ちいいし心が満たされるしステキなものだけど、やろうと思えばぶっちゃけ誰とでもできるしその行為自体は全然そんな大したもんじゃないし勿体付けるもんでもないし神聖視するもんでもない。でもだからこそ焦ってやる必要も無いし何なら一生やらなくてもいいし、むしろやれる状況だけどやらないくらいの方が面白いんだよみたいな。
いや、この例えは違うな。
このセックス論はいつか書こうと思って温めてたのに出すところ間違えました。
ともかく、芝居だけでなく現実でも、人が自分のために生きている姿を見るのが私は好きです。自分が楽しんで、自分が満たされて、人のことはその後であって欲しい(ある程度は同時進行であったとしても)。
百円だしそこまで考える必要も無いのかな。なんて言いながらここまで一気に駆け抜けました。初詣に行っておみくじを引かなかったらこんなこと改めて考えなかった。
取るに足らないことだろうとなんだろうと、考えることは大事です。まず考えることに意義がある。それをさせた神様の力ってすごい。
おみくじの言葉に神様が直接関与してるかどうかなんてどうでもいいのです。アシスタントさんの力も含めて漫画家さんの作品があるのです。柾というキャラクターを描いたのはおおやちきさんですが、それも含めて一条ゆかり先生の「デザイナー」という作品なのです。そしてまた、「有閑倶楽部」を語る時にチーフアシスタントの真弓さんが描く凸凹コンビは絶対に外せないのです。
神様の力ってすごい。おみくじってすごい。自宅から徒歩5分のパワースポットすごい。
今年最初で最後の詣でなんて言ってたら勿体ないですな。