あの話

あれはハタチか21か。まだ東京に出て間もない頃。
私は夜のバイト(水商売に非ず)を始めたばっかりで、バイト先にもそれ以外にもまだ東京の友達のいない状況だった。
ある日、バイトが終わっていつも通り1人で帰ろうとしたところ、同じ時間帯に入ってた女性が私に声をかけてくれたのだ。
「疲れたね。お茶して帰らない?」
その誘いがとても嬉しかったのを覚えている。

彼女に連れられて、渋谷駅前のマイアミに入った。
朝5時ちょいの店内は安っぽく面白味の無い明かりに照らされて、人工的でちょっといかがわしいようなワクワクするような、当時の私にはなんだかすごくすごく東京!という印象を与えた。
こんな風に唐突に友達ってできるんだなあと、飲みなれないコーヒーを前に私はウキウキしていたのだ。

東京に出てきたばっかりなの?仕事慣れた?
みたいな世間話をほんの二つ三つしたところで、彼女は切り出した。

「ところであなたにとって神様って…」

こ、これだーーーー!!!
噂には聞いていたけれど、宗教の勧誘!これか!!!

一瞬言葉の出なかった私に構わず、彼女は続ける。

「人は誰でもめぐり合わせと言うものを…」

頭に血が昇って、彼女の言葉がひどく遠くに聞こえた。
私は猛然と席を立ちつつ、「そういうの興味ないんで!」と言い捨てて店を出た。コーヒー代なんぞ当然払わない。

思い返すと店に入ってからおそらく10分くらいの出来事だったろうか。
我ながら考える余地も無いというか恐ろしく反応が早かったなと思う。
しかしながら彼女のほうも、本題に入るのが早すぎやしないか。もう少し世間話して、その流れで自然に持ち込むとかじゃないのかね。こんなもんなの?
まあ、宗教の話に耳を傾ける人ってのは、自分と相手が親しいかどうかってとこに判断基準は無いような気がするので、時間をかけずに本題に入るのは間違いじゃないのかもしれないけれど。


友達ができるかも!という喜びを打ち砕かれたあの悲しみ。
偏見であることは百も承知だけれど、それ以来、新興宗教というものに対して身構えてしまう気持ちがある。
もちろん何を信じてるかってだけで人格まで判断したりってことは無いけれど、この気持ちは理屈じゃない。

あの渋谷のバイト先の彼女がなんの神様を信じてるのか、あるいは神様の名前を借りて単にお金を儲けてる人だったのかは知らない(だったらもうちょい巧くやるだろうから、おそらく純粋に信者集めの人でしょう)。
ただ、とにかく宗教の勧誘というものに私は傷つけられたのだ。


不思議に思う。
本当に心からいいと思って勧めてるのかもしれないけれど、仲良くも無い人に良いものを勧めようと思うだろうか?そんなに博愛の気持ちに満ちているものだろうか?
そんな人たちが世界中にたくさんいるのなら、世の中はもっと平和になっていないだろうか。

人のためなんかである必要は無いのだ。
宗教って、自分のためにあるものだと思うのだ。
神様って、自分の心の助けになってくれるものだと思うのだ。

人が困ってる時は神様を紹介するんじゃなくて、神様のおかげで強くあれる自分自身がその人の助けになってあげればいいと思うのだ。まずは。


(ついでに言うと宗教絡みでの選挙の票集めは論外。私の周りでは滅多に無いけど、それでも昔ちょっとだけあった。嫌な記憶。
あの人たちにとって、信じるものっていうのは何なんだろう。何をどう信じているのだろう。
そして、それを信じていない人たちのことをどう思っているのだろう。果たしてそうじゃない人の人格を認めているのだろうか)


もちろん、何を信じてるひとであれ、ただただ純粋に自分の心の中の支えとして宗教を持っている人というのは当たり前にいるのだろうけど、そうじゃない人たちの印象が強く残ってしまうんだ、残念ながら。

そういや何の宗教を調べていた時だったか忘れたけど、そもそも布教活動をすること自体が教えのひとつだとかいう話を目にしたことがあるような。でもさ、そんなのおかしいよね!これはもちろん新興宗教に限らず、何の宗教であろうと嫌だ。
大元にある、信心を利用して勢力を伸ばそうとする考えが嫌いだ。宗教自体も信者そのものも悪いわけじゃないのだ。
綺麗な支えになるべく、良心の現れになるべく部分に汚いものを持ち込まれてるのが傍で見てるだけでも不愉快なのだ。
その不愉快なことを自分に投げかけられるなんてもってのほか!


また中学生が考えそうな、当ったり前のことをつらつら書いているけどもさ。


クマの神様は、誰が信じようと信じまいと確実にそこに存在している。
否定する人がいても、どうでもいい。本人にとって存在していて、自分にとっての支えであったり尊敬であったりして、それに導かれて良い人間になれれば、それでいいじゃないか。
(クマの神様は別に良い人間になるための材料なんかではなく、恵みへの敬意という本当に純粋なものであるわけだけど)
アイヌにおける神様の概念とか、八百万の神とか。
インドにも神様たくさんいるし、ギリシャ神話にも神様たくさん出てくる。
自由でありたいよなあ。
一神教でももちろんいいんだ。とにかく自由でありたい。

信教の自由。
押し付けた時点で相手の自由を奪ってるのだよな。


っつーか、余程ショックだったんだよ!あの勧誘!もう全部そっからきてると思う!
何せこの記憶力壊滅状態の私が20年前のことをこれだけハッキリ覚えてるんだから!


自分にとっての神様仏様を心の中で本当に大事にしてる人たちにはもしかしたら不愉快な話かもしれないから、ちょっと書くのが怖かったけれど。
うーん、やっぱ政治と宗教の話はダメね。
でも信心が深ければ、門外漢の戯言なぞ聞き流してくれるだろう。


私はあの時、神様に出会うよか友達に出会いたかったんだ。