国の話。そしてちょっとした幸せ。

私は日本という国が好きだ。
食べ物が美味しいし、四季がハッキリしてて、その気になれば割と簡単に国内全県制覇できるくらいこじんまりした感じも好きだ。「侘び寂び」というものを大切にする感性も好きだ。いいものがいっぱいある。目をそむけたくなるようなクソみたいなこともたくさんある。
良いと感じる歴史も悪いと感じる歴史もあるけれど、だいたい頑張り屋が多かったらしいことはわかる。頑張るっていうのは悪いことじゃない。私は好きだし誇りに思う。

日本はどうしようもない、と、まるで他人事のように吐き捨てる人が嫌いだ。
黙ってられないくらいどうしようもないと思うなら、どうしようもない状況をなんとかすればいいだけのことなのに。
自分を生んでくれた育ててくれた大地への感謝ってものは微塵も無いんだろうか?(いやまあ、大もとは地球だけど。地球の上に日本がある訳で)
どうしようもなくて、嫌いでしょうがないと思うなら、遠慮なくこの国を捨てて外へ出て行けばいいのに。誰が止めようと、どんな困難があろうと。そして、外に行ったならもうそんなに嫌いな国のことなんて忘れて暮らせばいいのに。
そんなに簡単にはいかない?でもだったらこの国で生きていくしかないってことなんだから、他人事にはできないじゃないか。国や社会や国民から、何の助けも借りずに1人で生きてるのか?税金払ってるから助けを借りてもいい・・・まあ、そうだけど、国が無いと税金払う場所もそもそも無いんだよ?と。施設も人も、国があるから存在してるんですよ、と。

何だか話が飛躍してしまったけれど、こんな極端な話を持ち出すまでもなく、自国のことを他人事のように悪く言う人ってなーんか八つ当たりとか、とりあえず批判しときゃいいやって風に思えるんだけどな。
でも、国家に八つ当たりなんてしても無駄だよな。え、それともただ単につまらない愚痴をこぼしてるだけなのか?だったらどうせ馬鹿を露呈するだけなんだから、下手な理論武装なんかしなきゃいいのに。

国を憂えて、地道に少しずつでも良い方向(少なくとも自分の思うところの良い方向)に向けて努力してる知り合いがいるんだ。有名人でも権力者でも無いけど、微力かもしれないけど、努力を止めない人だ。
自分の国だから。日本に生きているから。
自分はもちろんのこと、自分だけじゃなく多くの人が良い方向に向かえるように努力している人だ。とても尊敬している。

自分が背負って立つ!と、政治の世界に飛び込もうとする人もいる。偉いなあと思う。みんながみんな純粋な気持ちだけでは無いかもしれないけど、少なくとも、何もしない人間にはその人たちを笑う権利は無い。

ちなみに誤解されたら嫌だから強調しておくけれど、私が嫌なのはあくまで、
他人事のように」自国を悪く言う人のことだ。

バランスって大事だよなと思う。
極論は嫌いだ。あんまり政治的な自分の考えを語るのはどうかと思うので具体的には書かないけど。
極論と極論で戦いあってるよりか、全体を見ながらバランスを取って進むのが一番の早道だと思う。ああ、急がば回れって本当にいい言葉。私も肝に銘じておこう。

ちなみに、他人事のように自国を悪く言うのは嫌いだけど、
ろくに知りもしない、あるいは知った気になって他国とか他人のことを悪く言うのは問題外。言語道断だと思う。話にならない。
関心があるなら、もう少し知る努力をすればいいと思うんだ。
そしたら、悪いとこもそうだけど、良いとこだって見えてくるはずだし。いいとこが見えた時に、「まあ、ここはいいですよね」と認めることができれば可愛げもあるってもんだ。そういう積み重ねで嫌いじゃなくなれば儲けもんだし。
国自体丸ごと好きにならないまでも、その国の人、とか、その国の文化、とか、何でもいいから好きなものが増えたらラッキーじゃないか。そしたら、それはそれ、これはこれ、って考えられるようにもなるし。
どうせちっぽけな一国民なんだし。喧嘩ふっかけるよりか友好関係を結ぶ方が建設的だ。

こんなこと言うのは平和ボケだろうか。
でも、せっかく平和なとこにいる人間が率先して平和な気持ちを持たなかったらどうすんだ、と思う。そして、平和な気持ちと危機感って、別にどっちか片方しか持てない訳じゃないし。


話はまったく変わるんだけど、そしてものっすごくどうでもいいんだけど、今朝履こうとしたズボンのポケットに500円玉が入ってるのを発見してめちゃめちゃ幸せな気持ちになった。朝から大きな声が出た。
ついでに、今までずっとウエストのきつかったそのズボンが今朝はするっと履けたんだけど、500円玉の喜びの方が勝ってあんまり実感が湧かずにいた。
しかし考えてみたら、これまたとってもとっても嬉しいことなのであった。
ちょっとかウエスト細くなったんだろうか。るんるん

と、お茶を濁して締めくくるのだ。