名残惜しさと潔さ

今回発条ロール初参加の役者・加納和也くんが、飲みの場を「第2稽古場」と言っていました。確かに。

登場人物の掘り下げや、ぽろぽろ出てくるあれやこれやを全て稽古場でやるには、ちょっと時間が足りません。そういうことを話すのに飲みの席というのはどうしても必要だったりします。
稽古場の時間だけで全てをやり切れて、1人の時間に全て理解することができたら、もちろんそれが良いだろうと思うのですが、我々は・・・いや、私はまだまだ未熟者なのだと思います。

ちなみに世間一般では、役者の飲みといったら「演劇論を語り合う」みたいなイメージがあったりなかったりするようですが、発条ロールシアターではあまり壮大な話を延々する人はいません。
別にしてもいいんだけど、今やってる芝居のことで手一杯なので超具体的な話がほとんどです。それか、どうしようもないくらいの馬鹿話か。

飲みに行こうが行くまいが、稽古場以外の時間をどのように過ごすか、ということがやっぱりお芝居作りには必要です。どんな役者になるかの決め手が「どう生きているか」であるとしたら、芝居と日常が完全に切り離されることは考え難いし、少なくとも無意識にのんべんだらりと日々を生きているようではそれなりの作品しか作れない訳で。精神的にぐうたらしていたらどんなに汗を流して稽古してもダメだろうし。馬鹿話してても、脳みそがオフになっていなければ、いくらでも己を高めることはできるし。

つまり、ただ自分が気持ちよくなるためだけに飲みに行くくらいだったら、おうちに帰って台本読み返してる方がいい、と思うわけです。

というようなこと、実はこれらはどれも、昔誰かしらが言っていたことなんです。先輩であったり師であったり。
しかしながら若い頃の私は、大して実感湧くこともなく聞き流していました。ホント、バカなガキだよなあ。

今ようやく、ようやくです。

ともあれ稽古後の飲みはどんなに盛り上がってても名残惜しいくらいで潔く帰って、1人で悶々としつつも翌日の稽古を心待ちにするくらいじゃないと、というね。これは自分への戒めの覚え書きです。すぐ楽しくなっちゃうので。
だらだら飲んで最後まで充実してるなんてことは稀です。

とにもかくにも、先人からも後人からも学ぶことがたくさんあります。ありがたや。