先生

今ですね、電車で隣の席に座ってらっしゃる初老の男性が、B6くらいの紙の束をずーっとめくってらしてて、ふと見るとどうやら大学生が提出した講義の感想のようなのですよ。応用衛生学?だかの。

いやー、みんな広々とした白い紙の上の方に1行か2行くらいしか書いてないのですが、その内容たるや、ひどいのなんの。

「つまらなかった」
「何も頭に入ってこない。もっと工夫して欲しい」
「眠くなる」

こんなんばっかり。中には、
「先生が、ズーって息吸う音が嫌」
ってのもありました。そこはほっといてやれよ!

授業の内容について書いてる子も二人くらいいましたけど、白紙も何枚かあったり。

これが無記名じゃなかったら、こうはならなかったんだろうなあ。

覗き見しといて何ですが、途中で見ていられなくなりましたよ、私は。

その先生がどういう授業をされていたかは知りませんのでそれはさておき、子供ってのは何でこうも生意気というか、冷酷なんでしょうね。

ストレートな物言いが善だと思っているというか、言いたい放題することが良いコミュニケーションだと思っていると言うか。

私も20歳の時、中学の担任の先生に向かって
「先生の態度とか授業で話す話がとても下卑ていて不快に思えたのでいろいろ反発もしましたが、今となってはそういったものもフレンドリーさのアピールが上滑りした結果だったのかなと思って、一生懸命だった先生に対してあの頃の態度を申し訳なく思います」
と言ったことがあります。
言うなよ。

クラス会の2次会という飲みの席だったので、調子にのってたんでしょうか。もしくは毒舌的な面白要素があるとでも思ったんでしょうか。それとも心底良かれと思って言ったんでしょうか。

良質なコミュニケーションを普段からきっちり取り、信頼関係を築いた相手ならともかく、ほんの行きずり程度の関係で言いたい事を言うのはただの暴力です。そこには愛はありません。

いや、例え愛があろうとも、世の中言ってはいけない言葉もあります。それがわからないようじゃハタチだろうと大学生だろうと甘甘のヒヨッコの子供ですよ。

さて、散々若造について書きましたがど、私自身が未だにそういう傲慢さがあります。
説教っていうのはね、相手(含・昔の自分)を通して実は自分自身に向けてる言葉なのですよ。

ああ、隣で先生がうなだれているではないですか。

先生って、たいへん。