フトコロ

「強い女」が好きです。「強い女」はとにかくカッコいい。
「強い男」も好きです。「なさけない男」も可愛くて好きです。「なさけない女」は、私自身が他ならぬ「なさけない女」なので、自分のダメな点を見せつけられる気がして少し落ち着かない気持ちになります。

「強い女」について書く前に。
その昔テレビで「ツンデレカフェ」なるものを紹介していました。メイドカフェの応用版ということで、メイドさんの恰好をしたツンデレ嬢が接客する、というものでした。
ツンデレといったらあれですよ。例えば、普段みんながいる前ではツンツンしてるけど、二人きりになるとデレデレ甘えてくるような、そんな照れ屋なカワイ子ちゃんのことですよ。
しかしながらそこで紹介されたツンデレ嬢は、「ツン」はただすこぶる態度の悪い、なんならチンピラかと思うような言葉づかい、「デレ」はというと、お客さんがお会計すると言った途端に
「ええ?もう帰っちゃうの?寂しいなあ。ねえねえ、もうちょっとだけいて欲しいなあ。ね、●●も美味しいよ。飲んでみない?(=注文しろ)」
とあからさまに甘え声を出すという、金の亡者にしか見えない接客でした。
違うんだ、そんなところにロマンは無いんだ、と言いたくなるような光景でした。あれでも喜ぶ人いるのかなあ。私にはわからないなあ。
ツンデレ」の養殖は難しいんですな。

同様にSMというものもーーー私はあまり詳しくないので語るのはお恥ずかしいのですがーーー、Sはただ暴力的な人だと思われてたり、Mはその暴力に耐えて時には搾取さえされるもの、のように勘違いされてる場合があるように思えます。
一側面としてはそういう部分も無いこともないかもしれないし、言葉の解釈によってはそういうこともあるのかもしれません。
ただ、人をぶん殴ってただボコボコにするのがサディズムだとかいうのは大きな勘違いでしょう。

今は割と浸透しているようですが、Sはスレイブ(=奴隷)の意味、Mはマスター(=ご主人様)の意味と言われるくらいで、奉仕と享受の関係も、そういう感じでそこに存在している訳です。まあとりあえずは聞きかじっただけの知識で実践するにはなかなか難しい世界に思われます。

ちなみに私が知る限りでは、サディストの人は自分が相手に痛みや辱めを与えることはしても、他人が他人に対してそうしてるサマを見たり聞いたりするのは苦手とする人が多いです。それも人によるのかもしれないし、レベルによるのかもしれないですが。
あと、Mだからって誰からでも苦痛や辱めを受けたいと思う人はそういないように思えます。特に、「自称S」の何もわかってない輩から頓珍漢な攻めを受けるとか、言語道断なんじゃないですかねえ。頓珍漢な「自称S」って大抵小心者で、人として尊敬できる点の無いような奴が多いように思えます。

私は、自分でもいったい何のこだわりがあるんだかわかりませんが、簡単に「ドS」「ドM」という言葉を使うのが嫌いです。
つまり、「ドM」だの「ドS」だの、軽々しく口に出してくる門外漢が嫌いなんです。どうせ本来知る必要も無いくらいディープな世界なんだから、求めてやまないんでもない限りクビを突っ込むるなと言いたいのです。
せいぜいプライベートで目隠しプレイとか手錠プレイとかやってる程度におさめておきゃいいのです。馬鹿め。

脇道の話が長くなってしまいましたが、ここで指す「強い女」も、暴力的だったり乱暴な口をきいたりという女では無いことも、なんとなくわかっていただけるでしょうか。

「強い女」。
それはすなわちフトコロが深く、愛情深く、何にも屈することなく、それでいて柔軟性のある、自分の面倒のみならず相手の面倒も見られる甲斐性があって、疲弊して自滅していったりせずどこかできちんと息を抜ける、そんな女です。優しさと厳しさをもち、涙を流す感受性はもっていても、その涙は決して何かを得る為の武器ではなく、ただ本人の心から湧き出る汗のようなものである、自分の気持ちを出し惜しみしない、そんな正直でまっすぐな女です。
未熟であっても成熟してても関係無しに、強い女はいます。私の周りにも何人かいます。
「強い男」は難しい。それでもいることはいます。

私の書く芝居には、「強い女」がよく出てきます。正反対の「なさけない女」も出てきます。「強い男」もたまに出てきます。「なさけない男」はうちの作品には必須キャラクターです。

強い女や男がすごく理想の姿であるのに比べ、なさけない男や女は、どこまでも果てしなくみっともない姿を見せます。
しかしそんな彼や彼女が最後に少し頑張って前を向いた時の美しさというものは格別だと思います。

そういう人達の登場する物語を、今回も書きました。
強い女や男は描くのがとても難しいです。スーパーマンじゃなく挫折できる人間でありながら強くあるというのは、現実でもフィクションでも難しいのですな。
なさけない男や女はお客様に嫌われることが多いです。それでもいいとこあるよ、というのを伝えるのが難しいです。
これも現実でも同じですな。

強い人となさけない人、どちらも上手く魅力的に描けたらいいなと思います。
そのためには創作力の他に、まず現実の世界において、どちらの人も愛することのできるフトコロの広さが私に必要なんじゃないかなあと思います。

私自身の現実の話をすると、みっともないという理由で誰かを嫌いになることは無いです。むしろ、みっともなくて情けなくて小さくてどうしようもないほど、その相手に情が湧く。そこが自分のフトコロの広さと、言えないこともないかなあ。冒頭の文とは逆転しますが、もしかしたら「同病相憐れむ」というやつかもしれません。

ただし、そのみっともなさを誤魔化して取り繕う人は好きじゃないです。その誤魔化しをわざわざ言葉にして指摘してやりたくなります。
うーん、やっぱりまだまだ狭量だなあ。