案外わかってる

大人になるにつれ思うのは、
「人間関係の育みをないがしろにしてきたツケが今まわってきてる」
です。

中学〜高校時代は演劇部中心の生活でした。同じ部活というだけで垣根は無いも同然で、性格や価値観が違っても大きな支障は無く、喧嘩したり険悪になったりしながらも大会の時にはちゃんと心は通じ合って(と少なくとも私は思って)いました。

劇団に入ってからも、芝居を通じた仲間とは長年連れ添った夫婦よろしくわかりあえました。

お笑いをやってた時は少しだけ勝手が違って、
「私はこの人達と肩を並べるに足るだけのことを果たしてやっているだろうか」
という引け目から、例え自分より後輩であっても面と向かうと少しだけ緊張し、気を遣い頭を遣い感性を駆使して会話をしていました。

しかしながらその例外を除けば、自分の理解できる範囲の狭い世界の中、とても楽な人間関係を重ねるのが主でした。
(補足すると、こんな鈍い事を言ってる芝居人はフツーあまりいません。手抜きの人間関係を送ってきた人間は、やはり三流だと思います)

恋愛においても、たいてい自分の理解できる相手と、自分に無理の無いパターンでの付き合い方をして、無理が生じた時には恋愛自体を終わりにするという、恋の醍醐味の重要なとこを省略したような経験ばかりが積み重なっています。

今、例えば大切な人から悩み相談されたり、人づてでその人が苦境に立たされている事を聞いても、その人を癒したり励ましたり叱り飛ばしたりすることが私にはなかなかできず、歯痒い思いをしています。
大事な部分が欠けている私には、その人を喜ばせることがとても難しいのです。

しかし例えば、片思いの男性が自分をどう思っているのかとか、恋愛中の二人の間に生じたちょっとした問題を相手がどう受け止めているのかとか、そういった事に答を出す能力は、何故か奇跡的に発達しました。

そういう時に男は、
「本当に、絶対的に、どうしょうもないほどに、
なーんも考えてない」
のです。

これに気付けば、恋愛における悩みはほとんど全て解決します。
相手の態度が糠に釘だろうと、
相手がやたらと怒りんぼだろうと、
相手がドラマチックに恋してても、

「こいつはなーんも考えてない」

と思えば腹も立たなけりゃ悲しくもならない、うっとうしい思いをすることなんかと無縁になります。

そういう訳で、我ながら恥ずかしいくらいの小学生並対人スキルの私でも、少しはわかることがあるのだなというお話でした。