自分語りだから

「自分語り」というタイトルの示す通り、自分の思った事を極めて主観的にだらだらと書き連ねるのがこの日記(雑記か)の方針なのだが。公開日記としてちょっとどうなのという気がしないでもない。

フィギュア関連の文章は、凄い!
●●選手のここが良い、ここが好き!と、まるでファンレターを晒してるかのようだ。
その中にぽこっといい文章が隠れていたりして
「これ、ここだけ抜き出して『演出のお言葉』としてアップしたいなあ」
と思うようなのも稀にある。12月の全日本の感想で高橋大輔の表現力について書いてるが、芝居とも共通する私の考え方がかなり詳しく書かれている。

昨年9月頃の『アマガエル』前後の文章にも、ドロドロした思いが詰まっていて、読み返すと面白い。

もっと古いものになると、社会に対して事件に対して時事問題に対して、割と広い視点で自分が憤ったことについて書かれていることも多い。
ほんの数年前の脳みそとは思えないくらい青臭かったり知識が足りてなかったりして恥ずかしくもあるのだけど、己の考え方の変遷を知る上での記録として読むと、とても面白い。

それから、他人はどうかわからないけれど、自分が読むと
「あ、この時片思い真っ最中だな」
とか
「振られた直後だったんだな」
なんてことまでわかるものもある。
これは面白いけど恥ずかしい。
当時の自分の元に駆け寄って
「大丈夫、いずれ綺麗さっぱり忘れる程度だから元気出せ!」
と言ってあげたくなる。

しかしながら、例え未来の自分にそう言われても、ああそうかと割り切れるものではないんだろうな。
恋に限らず、人間の感情ってそこまでコントロールできるものではないと思う。
いや、人間の感情ではなく、私の感情、と訂正しようか。

この、感情的という性質は、人間としては欠点でしか無いけれど、私にとって脚本を書き作品を作るうえでの決定的な原動力である以上、私は自分の感情をコントロールすることはそう簡単にはできないだろう。

いつか仏のような菩薩のような境地に達する時が来るとしたら、その時には私はどんな脚本を書き、どんな作品を作り、そしてどんな日記を綴るんだろうか。

ずっと感情的に生きてきた。この先30年くらいは変わらない気もする。
そんなこと言って、今年の終わりには悟りを開くかもしれない。

面白いからこれからも、今の私の剥き出しの考えをここに書きつけていこう。
己の考え方の変遷を知る為の記録として。