世の中の人たちは、大変だけど頑張っている。
批判されても頑張っている。
肯定されても頑張っている。
頑張っていない人もいる。
自己評価としての「頑張ってない」人もいれば、周りからの評価として「頑張ってるつもりなんだろうけど・・・」の人もいる。
自分がどうなのか、本当に頑張ってるのか頑張ってる振りをしているだけなのか、なかなかわからないかもしれないけれど。
自分を甘やかすも厳しく律するも自分の勝手だし、なんだって度を過ぎなければいいと思うし。
正解は一つでは無いし。


例えば役者って。まあ役者といってもピンからキリまであるけれど。
残念ながら、沼の底の泥の中に溜まっているような役者の中には、就職から逃げて一般社会から逃げて人生から逃げて、ダラダラ生きている人間がごまんといる。中には懸命にもがいて水面に顔を出そうとしている人間もいるけれど、沼の底の泥の中でそれを眺めているだけの、自分の人生が300年あると勘違いしている者も多い。
沼の底で似た者同士でごっこ遊びをして、沼から浮上したと勘違いしているあるいは自分を騙している者も多い。

己を恥ずべき人間ほど、無自覚にダラダラし続けている。
何かの真似事をし続けている。
正直、軽蔑の対象だと個人的には思う。


そういう底辺の役者に、友人やバイト先の仲間や人生の先輩や後輩が声をかけてくれる。
夢があっていいね、とかやりたいことがあっていいね、という優しい言葉。
世の中を支えている優しくて思いやりのある誠実な人間が、他人のために綺麗な言葉を贈ってくれているのだ。

いい歳していつまでそんなママゴトのようなことをやっているんだ、と言われることもある。
バカにされることもある。
的外れな説教の事もあれば、的確な助言の事もある。

綺麗な言葉でも厳しい言葉でも、その時に何を受け止めてどう思うか、そして自分が何を選んでいくか、というのは、受け取る人によって違うだろう。そしてそれは、自分を知るうえでも自分の人生の舵を取るうえでもとても重要なことだと思う。


やりたいことがあれば幸せとは思わない。
自分の能力に分相応なところで、その中で精一杯のことをやって掴みとる幸せというものがあると思うし、一度しかない人生を博打に使うよりも、地に足をつけて誠実に生きることの方が尊いと思う。
ただ、それが選び抜いた上で本当にやりたいことであり、自分から切り離すことができないものだということに気付けたら、それは本当に幸せなことだと思う。
一握りの選ばれた人間になりたいと思う、なろうという努力をする、もがき続ける、それは幸せだと思う。
是が非でもこうなる、という明確な目標。なんという幸せだろう。


なんとなく漠然と、という時間の使い方ほど無駄なものは無い。学ぶつもりの無い人生の何という怠惰なことか。
とは言え、自堕落で奔放で耽美な生き方を否定する訳ではない。
呑んで打って買ってもいい。
稼げばいい。使えばいい。
稼がなくてもいい。使わなくてもいい。
草を食べる虫のようにひっそりと生きるんでもいい。
生産しなくてもいい。してもいい。
浪費してもいい、倹約してもいい。
不幸な恋をして泣くも良し、平凡でもそれなりに山あり谷ありの結婚生活を送るも良し、
刹那的に生きるも良し、堅実に生きるも良し、

その時、鏡に映った己の姿が別のものに見えている、というので無ければいい。

目が見えてないだけなのかもしれないけれど、もしかしたら意図的なのかもしれない。何も考えずに無意識にやっているのかもしれない。
金持ちなのに貧乏なフリをしたり、幸せなのに不幸の真似事をしたりするというのは馬鹿げている。
持っているものの価値もわからずに、何も考えないまま捨てるのは愚の骨頂だ。

明日死ぬかもしれないのに、己を知ろうとすることすら怠るなんて、なんてもったいないんだろう。


世の中は理不尽なことで溢れている。
嘘みたいなことがおこったり。
時間が決して戻らないことも、突然思い知らされる。

バカでも何でもいいし、誰かに苦労をかけても心配をかけても構わない。親孝行したかったらするべきだし、もし人の為に生きたかったら一番人の為になれることを選んでその道を行った方がいい。

いいとこどりはできない。世の中には両立できることとできないことがあるし、両立するためには犠牲が必要だったり、犠牲が要らなくても果ての無い努力が必要だったりする。
簡単に何かが手に入るようなら、それは実では無く虚かもしれないと、それをまず考えた方がいい。
恵まれた環境にいるならそれを活かして、幸運に感謝してどんどん先に進めばいい。

一所懸命考えて、考えて考えて考えて、考え抜くことが必要な時って、人生にいくらでもあるのに。
考えてもキリが無いくらい追いつかないくらいだったりもするのに。
考え過ぎ、って言われるくらいたまには考えてもいいのに。考えてるフリとか、あらかじめ決まってる答えを出してくるだけじゃなくて。
鏡を見て、真実を知ろうとして、考え抜いてみたらどうかなあと思う。

大学卒業して、やりたいことも見つからないから何となくアルバイトしてゲームして・・・
という人生を恥じる人はいるけれど、
大学卒業して、自分、芝居が好きなんです!といって何となくアルバイトして舞台こなして・・・
という人生も恥じる人って案外少ない。むしろ何か自分がやり遂げてる勘違いすらしてたりする。

っつうかさ、沼の底で現実逃避してる人間は、みんなとっとと就職するべきだと思う。

結局のところ私が言いたいのって、
「隠しておいた漫画を学校に行ってる間に全部お母さんに焼かれた!」
とかね。
それに対して、
「どうしてこの漫画の素晴らしさがわからないんだ!お母さんもいっぺん読んでみたらいいのに!このわからずや!」
と、怒りながら泣き叫んで、それでもまた知恵を絞って漫画を手に入れる、漫画を読みたいというひたむきさといかね。
そういうのって絶滅しちゃならんと思うの。


沼の底にはね、いろんな人がいるんですよ。
そこで安穏と暮らすなら、とっとと沼から出て行ってヨソで暮らせばいいのに、って。沼の底にはわずかばかりの養分しか無いのに邪魔だ。


この日記、昔の自分が読んだら猛烈に反論していただろうなあ。
10年前・・・いや、2年前でももしかしたら違うこと考えてたかもしれない。

そしてまあ、他でもないこの日記に書いてある内容こそ、お嬢様の言葉遊びなのかもしれないなあと

強烈に恥を感じていたりするんだ。