朝の日課

日課というほどのことでは無いのですが、朝パソコンの前に座るとまずネットニュースにざらーっと目を通します。本当は新聞くらい読めよと思うのですが、まあせめてネットで、と。

そんで、毎日毎日見たくない知りたくないニュースがずらっと並んでいて。
朝から怒ったり辛かったりものすごく血圧が上がるのです。朝から身も心もばっちり活動開始するのです。

そうか、だから人は朝ニュースを見たり読んだりするのだなあと。

まあそんな笑えない冗談はさておいて。

そういう怒りや心の痛みをびしばし日記に書きたいところではあるのですが、書いてるうちにとりとめが無くなっていってしまい、おかげでいつも下書きのままの記事が管理画面に溢れているという。
そして時間が経つうちに自分の愚かさや無力さに打ちひしがれて、アップしないまま埋もれていくという。

でもね、思うのですよ。
やっぱり、一言でも外に漏らさないと、思いはただ消えていくだけなんだな、と。

それがごく個人的な感情であるならそれでもいいのだけど、私がこの世の中に関わって、傍観者じゃなく一員として生きていきたいと思うなら、それは埋もれさせてはいけないんだな、と。
それで何かが変わるような影響力なんてとても無かったとしても。

まあ、あれだ。
「宝くじは買わなきゃ当たらない」論法ですね。

伝えたいものは作品にこめたい。でも、おそらくそれをテーマに芝居を作ることは無いだろうなってことについては、日記くらいでしか発言できないのですよね。

とりあえず怒りはいつでも爆発しています。



起こってしまったことは元には戻せないけれど、その現実を直視して二度と同じ事をおこさないようにする。それしかできない筈なのに、どうしてそれすらできないのか。
人が人を苦しめることは罪悪である。そんなわかりきったことが、どうしてくだらない理由を持ち出してまで無かったことにされようとしてしまうのか。単純明快なそのことが、どうしてどこかにやられてしまうのか。当たり前過ぎて忘れてしまうのか。
「人は人を裁けない」という。でもこの言葉を当事者以外が言うのは憚られる、それくらい、簡単じゃない言葉なのに。

この忌まわしい事件が事故が、明日は自分や自分の大事な人の身にふりかかるかもしれない。
だから他人のためではなく、自分と自分の大事な人の身を守るために現状を何とかしなければ。
と、そんな利己的な考えで構わない。人を陥れたりするのでなければ構わない。
何だっていいから、とにかくその忌まわしい事件や事故を忘れたフリをするのはやめなきゃいけない。でないと浮かばれないじゃないか。

子供だろうと何だろうと、罪は罪だ。絶対に。
そしてもちろん、子供を導けなかった大人にはもっと罪がある。知りませんでしたで終わらせたんじゃ次にはつながらない。
絶対に許してはいけないことが世の中にはある。
私に子供はいないけど、全ての大人は全ての子供の親であるべきだ。

「いじめは根絶できない」なんて言ってる場合か。
根絶できないって言うなら、それでも人が死なずに済むように、どこへなり逃げられるように、道を切り拓くべきだ。
いじめ殺されたり、いじめの辛さに自ら死を選ぶような、そんな残酷な事態を避けられないなら、そんな社会でしか無いんだったら、人間なんてくだらないもんは絶滅したほうがいい!
いつまでも何も変わらずじゃ、あの子とかあの子とかあの人とかあの人とか、浮かばれないじゃないか!

そんな訳で、くだらない自分に何ができるかって考えてみた。
今の私は社会に生かされてるんだもん。いい社会じゃないと生きていけないんだもん。

私の名前は今日からお節介おばさんだ。うん、おばさんで結構。お節介おばさん。
子供相手でも大人相手でも、お節介やくよ!めんどくさいなんてもう言わないんだからね!
すっげえ小さいことだけど、それしかできないの。ホント、小さいし無駄飯食らいなの、私。

そうだな。お節介おばさんじゃあまりに小さ過ぎるからもう一個。
いじめ問題について、既に活動している団体を探す。そして実態を知る。そしてその活動に出来る限り私も参加する。ええと、これはなんだろう。ボランティアなんだろうか。まあいいや、調べればわかる。出来る限りって辺りが我ながらクソったれだけど、現実的には今のところこれが精一杯だ。
ただ、一時的じゃなく今後ずっと関心を持ち続けて行く。

まさかこんなこと言い出すとは自分でも予想していなかったけれど。というか今までもっと関心を持ってることが他にあった筈なのに。だからちょっと自分でも少しばかり戸惑いもあるのだけど。でも、結婚だって革命だって社会奉仕だって、実行に移すにはタイミングとか勢いが重要だったりするもんね。
宝くじは買えば当たるかもしれないけど、世の中については怒るだけじゃたぶんなんにも変わらないし。

そんでもって今やっとわかったのだけど、ここしばらく私が怒ることをためらっていたのは、怒るからには行動しないといけないと知っていたからだったんだろう。じゃないとただ火事の現場でわいわい言いながら写メってるような、くそったれな野次馬でしかないから。そうなりたくなかったから。その自分の醜さを直視したくなかったから。

あの子やあの人とは知り合いでもなんでもないけれど、同じ社会の構成員なんだよ、私。