永遠の命

自分がいなくなった後に世界がどうなっていくのか見られなくなるのが嫌だから、永遠の命が欲しい。この世がこの先どうなっていくのか見ていたい。
という話で主宰と意見が一致した。
ちなみに主宰は不老不死がいいらしいが、私は自分が年老いてどういう姿になるのかにも興味があるから不死だけでいいと思っている。ああ、足腰が弱るのは困るけど。姿は老婆になっても身体能力は今のままならいいな。想像するとちょっと怖いか。

世界で自分1人だけ永遠の命を持っていたとしたら悲劇であると思うけど、一生付き合っていけるであろう相手と一緒ならば悪くないんじゃないかなあ。
さすがに数百年も経てばうんざりするだろうか。
終わりが無いということに恐怖を覚える日もくるかもしれない。

そういえば、「同じ不老不死の仲間がいるのに普通の人間に恋してしまって苦しむ」みたいなお話が漫画やら映画やらであるけれど、その苦しみというのはつまり、「恋した相手とずっと一緒にいたいのに自分だけが置いて行かれる(相手が年老いて死んでしまう)、というところにあるのだよな。

でも永遠の命があろうとなかろうと恋なんていつか冷めるんだから、今は辛くてもまた別の相手が現れるだろうにと思うのだけど。
そりゃ恋の始まりには「ずっと一緒にいたい!」なんて思うこともあるだろうけど(思った方が面白い)、しょせん数ヶ月で恋心なんざ冷める。

同じように永遠の命をもつ仲間や家族がいない、あるいはその仲間や家族と全く気が合わなくて生き地獄、というならともかく、そんなに悩むことかなあとも思うんだが。

と、ここまで書いてて思ったけど、そういえば何気なく知り合った相手なんかでも付き合っていくうちにかけがえのない大事な存在になって一生涯付き合っていきたい相手になる、ということはあるもんな。
恋から始まろうと友情から始まろうと、相手が先にいなくなるんじゃ確かにそりゃ寂しいわ。
あ、でもそういう観点で言えば、恋人との別れより友人との別れの方が辛いかな。どうだろう。一概にはどっちがどうとは言えないか。恋人だった相手が一生の友となったり仲間となったりすることだってあるもんな。だから結婚(とか事実婚)ということも成立するんだろうし。婚姻関係が最初から最後まで恋の成分だけだったらもっと離婚率高くなるよね、たぶん。

長々と何を言ってるんだ、私は。

まあ実際には永遠の命を得ることは無理だろうけど、せめてこの限られた時間の中でやりたいことやりきって、欲望を満たして、見たいこと知りたいことあれもこれも首を突っ込んで、
「あーもう、やってやったぜ!!もう満足!!もうお腹いっぱい!!さいなら!!」
と言って元気よく旅立ちたいものだ。
どうだろう?それでも最後まで
「今度はあれをやろうと思ってたのに・・・あ、あれもやりたい、これもやりたい、いろいろなアイディアが・・・ガクッ」くらい貪欲な方が幸せだろうか?前向きな悔いは後人に夢を抱かせるだろうか?
実際にそれまでにどれだけのことをやったのかによるかな。

なんてごちゃごちゃ考えてみるけれど、残念ながらこれは自分の意志だけでどうにかなることでは無い。世の中にはどうにもならないことや理不尽なこと、そればかりか馬鹿げたことふざけたこと怒りたくなることが数多くあるのだ。
せめて自分でどうにかできることだけはどうにかしていこう。


そういや保育園の文集に書いた将来の夢が、
「おいしゃさんになって、ぜったいしなないくすりをはつめいする」
だったなあ。それお医者さんの仕事じゃないよ、たぶん。研究しながら現場の仕事もしてるお医者さんということか?

しかし何て言うか・・・三つ子の魂百までって感じだなあ・・・。