大人の悩み

先日、36歳になった。
大人だ。

世の中の大人は、どんな種類の悩み事を抱えるのだろう。

仕事上の責任、家庭を支える責任、自分の親や子供、自分と無関係の年寄りや赤ん坊、それぞれの行く末を考え、自分自身の人生を考え、お金のこと、病気のこと、人間関係のこと。

大人たちは皆、つまらない悩み事に時間を割いてるようには見えない。

頭を悩ませるのは、介護とか、教育とか、仕事とか、もっと視野を広げると政治・経済、環境問題。個人的なところでは出産とか貯蓄とか・・・。

ああ、もう限界だ。まるでわからない。何を相談されても、どれもまったく答えられない。
悩みの内容が難しすぎる。

あるいはもっと単純に、今目の前にある消化しなきゃならないことにバタバタで、ゆっくり悩みに浸っている時間など無いかもしれない。

周りのまっとうに生きている人たちを見ると、そう思う。

なんて複雑な世界に生きているのだろう、我々は。

でもそんな大人たちでも恋をするとまるで思春期みたいに思い悩むことがあるのだ。
胸がドキドキすることがあるのだ。

臆病になったり妄想が過ぎたり落ち込んだり悲しんだり、その苦しみ自体が喜びなのだ。心を揺さぶられることは、とても幸せなことだと思う。
いや、マゾヒストという意味ではなく。

苦しんだり悲しんだり妄想したり、自分の思い通りにならない恋に一喜一憂するのは辛いけど楽しいものだ。恋に関しては、年齢問わず悩むことが許されている。

だから、せっかくだから、ずっと楽しいままでいたい。
相手に涙を流させるのではなく、自分が涙を流す方が気持ちがいいってことを忘れないでいたい。

子供の頃、好きな子の家の前までこっそり行ったのは、相手を怯えさせるためじゃなくて、ただただ気持ちが突き動かされたからだったはずだ。相手の領域に踏み込んではならない、相手に不信感を与えてはならない、そんな暗黙の了解の下に行われる、ただ自分のためだけの何の意味も持たない儀式だったはずだ。

それを忘れないでいれば相手を泣かせることなんて無いはずだ。

相手が生きていて、自分も生きている。それが一番の喜びのはずだ。

恋は、くだらない。恋は、ただの娯楽だ。
だからこそ思う存分好きなように無責任に一人で悩むこともできる。
そんなステキな悩み、大人の世界には滅多に無い。
それなのに。

せっかく自分の中に芽生えた気持ちを自分自身で踏みにじって、恋に悩む楽しさを知ろうともしないクズ野郎が、ストーカーになるんだろうか。

絶対に許せない。

本当は途中まで楽しい恋愛の悩みについて心を躍らせて書いていたのだけれど、その最中にあまりに痛ましいニュースを耳にして、こんな文章になってしまった。

とりあえず、早とちりとせっかちが取り柄である私は、何か異様な状況に立ち会った時は脊髄反射で110番に電話するくらいの行動をとっても良いんじゃないかと思う。

110番を躊躇したとしても、せめて大声を出してその場の異変を打ち破るくらいのことをやったって、良いんじゃないかと思う。
たとえそれがただの私の勘違いだったとしても。
自制する気持ちが取り返しのつかない事態を引き起こすくらいなら、「大げさな人ね」と迷惑がられる方がいい。

・・・と、わざわざ語るまでもなく、私は常日頃から「大げさな人ね」と嘲笑されるほどの心配性であるのだけど。