今まで何度も書いてきたが

「お腹を痛めて産んだ子なのに」
とか、
「血がつながった実の子なのに」
とか、いい加減にしてほしい。

そんな枕詞はいらん。そんな事はどうでもいい。どっちでもいい。痛めてても痛めてなくてもつながっててもつながってなくても、そこは論点ではない。

特に、自分で子を産んだことも育てたこともない奴(不妊で辛い思いをしてる女性はともかく)が、さも正論のようにこーいう言葉を口に出してるのを聞くと怒りしか湧かない。馬鹿か。

それはさておき、

自分が発狂せずに子育てをしてることが当たり前だと思ってるのか。
自分の親が匙を投げずに自分を育ててくれたことを当たり前だと思ってるのか。
自分が幸せであることを当たり前だと思ってるのか。

ちょっとしたボタンのかけ違いで悲しい事が起こることもあるんだと、どうして想像できないのか。

立派な人が立派でなくなる事はあるし、立派なままな事もあるし、ダメな人がダメでなくなる事はあるし、ダメなままな事もあるし。それは、全ては結果論というか。

とにかく、他人を糾弾するほど己は間違いのない人間なのか?と。
間違いなく生きようと思った人が、全員間違いなく生きていけるとは限らないのだ。

間違いなく生きてる人を見たら、「偉いなあ」とか「凄いなあ」とか思うけれど、そうじゃない人を見たからって、必ずしも批判はできない。だって、そうじゃないか。

母親が子供に手をかけるという事件を耳にした時、どうしてもその母親の心の痛みを想像してしまう。叫びを聞き取ろうとしてしまう。
もしかしたらそれは、産める性を持ちながら産むことを避けている私の、何かよくわからない罪悪感から成るのかもしれない。

罰さないとか、許すとか、そんな事は言わない(し、第一そんな権限は持ってないんだが)。
でも、それは別として、悲しくなる。

悲しい。

その母親に対して遠い場所から思うことは、ただそれしかない。