今思ってること。覚書。

「いじめ」っていうのは、多分100%に近い確率で理不尽に行われるものだと思うので、「いじめられる方も悪い」という論は、私の中では“無し”である。

だけど例えば、独りもしくは複数名からひどく自分が嫌われてるとしたら、自分に何か原因が無いかどうか我が身を振り返る事が必要ではないだろうか。

「嫌われる事」と「いじめられる事」は連動している場合はあってもイコールでは無いと思うのだが、さて、この話を展開させるには先ず「いじめ」の定義を知ることから始めなければならないようなので、今日のところはお題を出すだけって事で。

話は変わるが、親が子を虐待死させたというニュースを聞くと、私の気持ちは憤りよりも悲しみが濃くなってしまう。

苦しい、痛い、お腹が空いた、寂しい、怖い、悲しい…
生まれてから僅か数年の命を、そんな思いばかり抱えて過ごしたのかと思うと胸が痛くなる。

憤る元気も失せてしまう程に、涙に支配されてしまう。

涙では何も救えない。涙は自分の心を壊さない為の防衛本能のひとつに過ぎない。

こんな風に弱っている自分は、いつにも増して役立たずで、嫌いだ。