ストーキング

小学生や中学生の頃、名簿の住所を頼りに好きな人の家を見に行った。こんな経験が無い人も世の中にはいるのだろうか?
先日『さくらの唄』(講談社刊・安達哲)というマンガを読んだのだが、主人公が好きな女の子の家を見に行くエピソードがあり、胸がじんとなった。
その主人公はそこで幸運にも相手の女の子に出会えたが、別に出会えなくてもいいのだ。ただ好きな人のかけらを拾いたいだけなのだ。
あの人は毎日この道を駅に向かう、あの人は毎日この門をくぐる、あの明かりのついてる部屋はあの人の部屋かもしれない、あの人の生活空間のすぐ傍らに、今自分はいる。ほんの一時そう思うだけで、満たされた心を抱えて家路を辿どれるのだ。
思春期の恋には、想いをどうしても伝えられない場合が本当にある。苦しくて辛くて楽しくて毎日想っていて、だけどどうしても気持ちを口にできないのだ。私もそこまで情緒的では無かったにしろ、近い経験はある。
しかしこれ大人がやるとまずいな。正々堂々、正面からぶつかれよ、勇気出していけよ、と私は思う。
ストーカー行為は思春期の切なさとはまったく異なるものであると思う。そこには独りよがりな図々しさしか存在しない。