媚び

これからはどんどん媚びていくぞー!みたいなことをどこかに書いたことがあるのだけど、やはり無理だ。私にはできない。

例えば愛情なり物なり与えて欲しい時、交渉して手に入れるなら良い。でも媚びて手に入れる、というのが嫌だ。漠然と媚びを売っておいて、予期しない時にたなぼたで何かを与えてもらう、というのも嫌だ。

私は物欲が強い。人におごられたり物をもらうのが大好きだ。要するにたかるのが好きだ。でも物欲ありきの人間関係は育みたくない。これは高潔だからではなく何だかむしゃくしゃするから、である。

劇団の社長、座長や気前の良い友達、両親、姉夫婦などには、長きに渡っていろいろ与えてもらってきた。私が彼らを好きだから擦り寄っても行く。でも擦り寄ることと与えられることに関連性は無い。相手にはもしかしたらあるかもしれなくても、私に無いので問題ない。

一方、最近仕事の関係で知り合った人々はとても難しい。この人はおもしろい仲良くなりたい、と思った矢先にどんどん与えてくる人とは途端に付き合う意欲が失せてしまう。仲良くも無いのに何かを与えて来る人はただの財布に見える。たかが財布に私は私の時間を割きたくない。

もちろん与えてくれる物が仕事である場合はそんなことは考えない。仲が良いというだけで仕事をもらえることはあっても、その後成功するかどうかは自分次第だからだ。

整理すると、

仲良くしたい→仲良くなる(時間を割いて会いたいと思う)→与えてもらうのは+αなので気にならない
仲良くしたい→与えられる→財布になる(時間を割いてまで会いたくない)→時間を割きたくないのに与えられて罪悪感

という図式から嫌悪感がある。以上のことから、自分にとって大切なのは物より時間なんだということがわかる。

自分は男に驕られるのが嫌いなんだと思ってたが、細かく分析すると財布と付き合いたくはないということだ。

ただ、他人が媚びてる姿を見ても嫌悪感は生まれない。それに対しての感想はゼロである。むしろ人に媚びられたりねだられることは好きだ。自発的におごりたい欲も高い。あくまで、自分が媚びたり驕られたりするのが嫌なのだ。

何にせよ、今現在私がおごってもらってる人間は、おごってもらわなくても良い関係を持てると私が思ってる人達だけである。これだけ聞くと、私という人間は何とも気難しい。