んむむ?

前の雑記を読み返してふと疑問。

結局、全てにおいて誰の元においても嫉妬と独占欲はレクリエーションだと言いたいのか?1を読む限りではそんな感じなのだが。

とすると一つ前の最後のくだりはおかしいですね。
嫉妬と独占欲にぼろぼろになるってことは、単にレクリエーションの楽しさが手放せないだけで、恋愛体質であることの証明にはなりません。

ああ、書いたそばからほころびが。
結局、恋ってなんだろうということですね。

恋、恋。ドキドキときめくもの。
その人のことを考えただけでご飯が喉を通らなくなるもの。
好きで好きで声が聴きたくて会いたくて触りたくて側にいたくて何でもいいからその人の存在のかけらを感じたくて。
しかしそれすらもレクリエーションの一環と言ったらそれまでのような気もする。

恋愛、恋愛、お付き合い。
寂しい者の傷のなめあい、なんとなく自分は必要とされていると思える慰め、自信喪失を救うための最後の砦。

恋っていいものですよ、ともはや言えなくなってしまった。やばいぞ。

まあ、いいんじゃないですかね。ひと時、あるいは長い時を共に過ごして心の慰めになるのならそれで。
何せ人生は大変なことが少なくありませんから。
娯楽、それは素敵なものです。人生を支える素晴らしいものですから。

そうだ娯楽で良いじゃないか。恋は娯楽。嫉妬と独占欲はそのプラスアルファのお楽しみ。
しかし私はとりあえず今のところプラスアルファはいらないや。充分堪能したし。

アトラクションとしての片思いのドキドキと、大事な人に愛情を注ぐ喜び、あとは楽しくも信頼できる仲間が側にいてくれたら、おお、なんと豊かな私の人生。

結論としては、こうかな。
嫉妬も独占欲も、恋愛というレクリエーションを構成するお楽しみのひとつであり、当人同士の精神衛生に害をなさない程度に楽しむのであれば決して悪いものではない。
だからそこに罪悪感を感じる必要も無いし、逆にそれが無くとも相手の気持ちが足りないのではないかと疑るのは愚の骨頂である。

恋愛というからには、恋というアトラクションを楽しむだけでなく、相手に対する思いやりであるところの愛も忘れてはならない。
嫉妬も独占欲も、恋愛に持ち込むのなら相手のニーズに合わせることが大事である。

どうでしょう。
理屈っぽいかなあ。

しかし私の書く脚本の登場人物の言動には私の深層心理が反映されているのだなあと感心してしまいます。「アマガエル」の鯖人とかまさに。