三つ子の魂

幼児時代、夜寝るのが嫌いだった。
母親が寝室の電気を消して部屋を出て行った後も、居間からもれてくる明かりをたよりにこっそり本を読んだり、目をつぶっていつまでも妄想の世界で遊んだりして楽しんでいた。
おかげで朝起きられなくて、保育所にはいつも遅刻していた。
寝不足の私を何とか起こし、支度を整え保育所の玄関まで送ると、母親は会社に走った。私のせいで母も遅刻だ。

遅刻したせいか先生のお出迎えは無かったように思う。
私は教室に入らず誰もいない保育所の庭で遊んだり、トイレでぼんやりしてるのが好きだった。先生に見つかって教室に連れて行かれると、すごくめんどくさい気分になった。

剣道の時間が何より嫌いだった。痛いし野蛮でくだらないと思い、頑としてやらなかった。
みんなの前で紙芝居を読まされるのは好きだった。先生に褒められるまでもなく、他の誰よりも、何なら先生よりも上手く読める自負があった。
いつも自分の好きな事しかやりたくなかった。

……今と性格が変わっていない。

学校に入ってから、私はいくつかのやりたい事を取り上げられ、いくつもの嫌いな事を強制された。
嫌いな事でもやらざるを得なかった。
私は去勢されたのだ。

しかし環境や経験ももちろん大事だが、人間性の形成は、結局のところ本人の意思、あるいは意志が決め手になるものだ。何を与えても何を奪っても、人は自分の力で自分の道を選び出す。トラウマやマインドコントロールの呪縛からでさえ、人はいつか脱け出せるのだ。
切り落とされた四肢が元に戻る事は無くとも、人間の精神だけはきっと復活する。

大袈裟な話になったが、つまり一度は矯正されたと思った私の性格も、根本的な部分は良くも悪くも未だに幼児の頃と変わらない。
だったらあの児童及び生徒だった時期は何だったのか?(高校の頃は体育を我慢してた以外は好き放題だったので除く。思う存分の演劇三昧だった)

きっと、同じ小中学校を過ごした仲間の中にも、去勢されずに生きた人達はいたのだろう(不良、という意味では無く)。
もしも今あの頃の自分に会えたら、
「修学旅行で個人行動がしたいならそうしろ」とか、
「スキーが嫌ならスキー遠足なぞ行くな」と言ってやろう。

とはいえ、馬鹿正直に決まりに従ってた素直な自分というのもまた、愛しいのだ、これが。