子離れ

一時期すごくかわいがっていた後輩がいて、自分でも呆れるほど、よく面倒をみていた。
というか、溺愛していた。

可愛く思う気持ちは予想を遥かに超えた大きさまで膨れ上がり、いつしか、行動の全てを管理し彼が私の予期せぬ行動を取ったりすると烈火のごとく怒ったりと、愛情の示し方が歪んでいった。

結局、彼は次第に私に距離を置くようになり、多少の悶着を経て、今ではごく普通の先輩後輩の仲となった。
激しい葛藤の末に、私の方も、かわいいと思う気持ちはあるが一時期のような狂的な執着心は無い、という気持ちを保っている。
それでもやはり、その子に頼って来られるのは殊更に嬉しいもので、つい贔屓なんぞしてしまう。

この前ふと、その後輩と出会って数か月頃にかかってきた電話の事を思い出した。
何かのオーディションに失敗して、それがあまりに悔しくて誰かに話したくて…という内容だった。
思えばこの頃から私の猫かわいがりが始まったのだ。

しかし寂しい話だ。誰かに聞いて欲しいという話をするのが、友人や恋人では無く、何年も上の先輩だとは。
当時の彼は、自分でも言っていたが、かなりのホームシックだったらしい。地元を離れて一年、家族とも離れ、まだそんなに親しい友人もできず、寂しさを感じていたという。その頃の彼は頻繁に帰省していたようだ。

それを思うと、彼が私から離れていった事は、喜ばしい事であり必然であったのだろう。
溺愛してくれる守ってくれるものの腕から抜け出して、対等の関係を持てる相手との付き合いを1から築く方を選んだのだ。
彼は親離れに成功したのだ。

実際の親子関係となると、親への感謝やら何やらが濃いぶんまた苦労するのだろうが、窮屈さよりも寂しさを選び、依存を捨て自由を求め巣立つという経験は、人生において場合によっては何度もする必要があるだろう。

私の方は子離れの苦労を充分体験できた為、子供つくるのやめとこうかなあと、しっかり少子化に荷担している。

今のところは、親離れ子離れの必要が無い猫との長い蜜月に浸かっているのである。