さるとるとかさ

泥棒日記
といえば、ジャン・ジュネの小説。半自伝?自叙伝?だとか。
ジャン・ジュネといえばサルトル
サルトルって人は哲学者で、サルトルの哲学に影響を受けたらしいジャン・ジュネのことをサルトルは、「あんたの作品すっごくいいじゃん!」ってな感じで支援したらしいです。そりゃ自分の思想に影響受けてる作品だもんな。わかる。

薄々予想はしていたけどもお客様の中には今まさにサルトルを読み返してるんですよなんて方までいらっしゃって、いただいた感想が奥深くて困っています。
自分の手に負えないものを引用した自分が悪いのですが、感想の意味を理解するために芝居が終わってからもまた勉強中。とほほ。

私は非常に物を知らないため、ひとつの物語を書くにあたって勉強せねばならないことが非常に多いです。
何しろ歴史のことも哲学のことも列車のこともビル設備のこともラブホテルのことも226事件のことも宇宙のことも何一つ知らないのです。
加茂克から原案をもらって、題材が決定してからは猛勉強です。死に物狂いです。
オムニバス公演の時くらいじゃないかな、たいして調べものせずに書けたのは。10余名の絡み合う24本ものコントを一気に書いたので、脳みそが爆発しそうになりましたが。

ひとつだけ良いことがあるとするならば、何も知らない私が理解できる程度の話しか書けないので同じように何もそのことを知らない人にもわかってもらえるような話に仕上がる、ということでしょうか。

ともかく、最低限わかってないことには何も書けないのでわかるまで勉強はするのですが、脚本を書き終わった時点で勉強して得た知識、理解したものたちは綺麗さっぱり脳みそから消え去ります。そりゃそうだ。一夜漬けみたいなものだもの。

だもんで芝居が終わってから私に残ってるのは感覚的なものだけ。深い知識を持った方のお話など、耳に入れても理解することはできず。
せめてお客様をガッカリさせないようにと一生懸命聞いて、後からもう一回調べなおすくらいしか私にはできませぬ。

そういや今回の本番中、主演の役者から「実存主義ってのは云々…」と話題をふられたのですが、
「え、ごめん実存主義ってなんだっけ?」
実存主義というのは…(簡単に説明)」
「え、それってまさに今回の芝居の話じゃん!」
「そうじゃなかったら今こんな話ふりませんが…」
みたいなやり取りをしたんでした。
いやあ、自分で書いた本なのに後から新鮮な驚きを得られる。二度美味しくてお得。

ただし今回はお勉強したことを忘れるのがちょっと早すぎたのか、演出しながら
「これどういう意味だっけ」
と考えてしまうことがありました。これは反省。
書いてる最中は「ほほお!なるほど!」なんて思ったから珍しく茶化すこともなく引用したはずなのに。
そんなわけで、同じ題材で3回勉強する羽目になった公演でした。

(どうでもいいけど、新撰組が大好きな人がつくった新撰組の芝居を過去に3回ほど観たことあるんだけどどれも心底つまんなかったんだけど。これってたまたま?それともあれって新撰組信者による新撰組信者のための芝居なわけ?
おかげでもともと興味のなかった新撰組、大嫌いになったわ。)

ちなみに今公演には森鴎外高瀬舟もちょろっと出てきましたが、これは自然に面白いなあと思いました。
発表当時に読んだら内容自体もっと深く感じ入る部分があって面白かっただろうなと思うのですが、それが無くても面白かったです。
っつうか話も描写もシンプルで、森鴎外って人は文章が上手だなあと思いました。

最低の感想文ですな。失礼しました。