電気の話つづき

まあ、そんなようなことを週刊文春の先週くらいの号に載ってた養老孟司さんの言を読んで思った訳です。図書館で探して読んで見てください。阿川佐和子さんの対談コーナーです。

しかし地球に寄り添う日本になってしまったら、うちみたいなクソの役にも立たない小劇団は、いったいどうなってしまうのやら。
まあ、環境がどうなったって、自分のとるべき道は一つだとわかった今は、全然心配なんてしてないんだけど。

何でも同じだ。今までと同じやり方ができなくなったら、じゃあどうしたら良いのか工夫をすると。その中で優先順位をつけて大事なものから守っていくと。
そんだけのことなんだよなあ。

さて、電気の話を書いていてひとつだけ無視して通り過ぎた問題がある。バカな私でもわかること。そして大きな大きな問題だ。

今ある原子力発電所のそばに住んでいる人たちはどうしたら良いかということ。

書くまでもないことで、胸が痛い。

私は根無し草だけど、そうでは無い人たちがいる。
ずっとそこに住んでいた人たちがいる。
反対したのに聞き入れてもらえなかった人たちがいる。
海とか土と一緒に生きてきた人たちがいる。

どうしたら良いのだろうね。

偉そうに長々と綴ってきても、結局ここに来て弱気になってしまう。
それは私が当事者ではないからということに他ならないのだよなあ。
当事者だったらいくらでも怒るしいくらでも笑うしいくらでも極論を突きつけてやる。

でも、この痛みは結局、私ではない誰かが背負っている痛みなのだ。私のものではないのだ。

だけどそれでも、それでも、

と、最後に気力を振り絞り、この話を締めくくろう。