王様と私と私

15年以上前のこと。新宿のツタヤの洋画コーナーで店員さんに「“王様と私”ありますか?」と聞いたらば、
「おおさまとわたし…?」と2回くらいタイトルを聞き返された上に「あ、アニメのですか?」と言われたのだ。洋画コーナーで尋ねてるのにアニメが先に来るのかよ!

が、今調べたらそれくらいの時期にアニメ版が作られてるのね。そしてチョウ・ユンファジョディ・フォスターの「アンナと王様」もその時期か。
確かに私も「アンナと王様」が公開されたのをきっかけに「王様と私」を観たくなったような気がする。

結局その時ツタヤには私の観たい「王様と私」は無く、私は心の中で
「名作にしてアカデミー賞受賞作品でもある王様と私を置いてない上に店員がその作品すら知らないとはなっとらん!」
と怒ってたのだけど、これも今調べたらアカデミー賞作品賞はとってなかったわ。主演男優賞とかほかいくつかは取ったらしいけど。

と、どうでもいい思い出話はさておき、「王様と私」!
新宿ツタヤで思いを遂げられずそのままだった作品を、とうとう購入し我が手中に納めたのだ!早く買えよ!
そして子供の頃以来30年ぶりくらいに観た!

感想はもうとにかくユル・ブリンナーが超絶かっこいい!それに尽きる!!!
子供心にもかっこいいと思ったけれど、今回改めて観たら、もう何て言うか奇跡のような美しさと言おうか。この世のあらゆる美を凝縮してつくりだしたかのような造形の美しさにうっとり。こんなに美しい人を見たのは初めてってレベル。
更に惜しみなく披露してくれる肉体美も!この王様絶対に強いよ!
また国のため良き王であろうと常に学び続け、己に問い続け葛藤するその姿がかっこいい。
デボラ・カー演じるアンナも超美人だし王様と心触れ合う姿はステキなんだけど、どうしても英国の価値観をおしつけてるように見えて鼻につくというか。
でも、おしつけてるなんて言いだしたら何も学べないよね。やっぱり必要なことだったりするのよね。
そうして得た新しい知識をもとに、考えるのは自分の仕事。その先何を選ぶかは本人次第…という意味合いのことを作品中でも言っているわけだ。

王子はまだ子供なのですぐに誰かに(この作品だとアンナの教えに)影響を受けて盲信しちゃうんじゃないの?という危なっかしさも感じるけど、小さな世界から大きな世界に出て行こうとする姿はやっぱり希望を感じさせる。
アンナが子供たちに世界地図を見せてあげる場面はなんだかちょっと物悲しくもあり。でも王様がその世界地図を見つめる背中は良かったなあ。王様はすごく進歩的でとっても頭のいい人なのだ。良き王であろうとする人なのだ。
我儘で自己中心的にも見えるその姿、蛮族と言えなくもないし、子供っぽくも見える。プライドも高い。でも、それも含めて、弱さを自覚した上で強くあろうとし、学ばんとし、乗り越えていくサマが素晴らしいのだ。実に尊敬できる、紛れもない素晴らしき王なのだ。

ユル・ブリンナーはこの作品が美しさの絶頂期だったのではなかろうか。とか言って。出演作3本くらいしか観たこと無いんだわ。
十戒も荒野の七人ももちろんカッコいいけど、おおカッコいいな、って感じ。
王様と私はもう、

んぎゃああああああかっこいいいいいいわあああああああああ!!!!!!!!!!!!!!

って感じ。
いや、むしろ

……………かっこいい…………………

って感じ?…が多過ぎてなんのこっちゃかわかんないな。
画面にユル・ブリンナーが映ってる間じゅう、他の人がまったく目に入らないくらい。ずーっとユル・ブリンナーを追い続けてしまうくらいのかっこよさ。

王様とアンナが踊る場面はやっぱいいな。王様が可愛い。
夜中に呼びつけてリンカーンに手紙を書く場面もいい。面白い。
みんなで祈りを捧げる場面でも、アンナをからかうのね。あれもいい。
そして最後の場面でアンナがひざまずくのがとっても好き。

そういえば子供の頃はかったるいなー何で劇中劇なんて入れるんだろうと思ってたアンクル・トムの小屋がめちゃめちゃ面白かった。あれはいい!なんか得した気分になった。

でも一番最初のアンナと息子の口笛を吹く歌なんかはちょっと…なんか…。
タモリさんの言うところの「ミュージカルの突然歌いだす不自然さが嫌い」発言を思い出す。
恋人同士の場面なんかはね、あれはもう歌を入れるところでしょみたいなところがあるのでしょうがないっていうか。様式美っていうか。
アンナの、夫を思う歌も…あれ入れないと…ヒロイン的には良くなかったのかな、見せ場なんだろうな、とかひねくれたことを思ったり。
つーか夫への今も続く愛みたいなのを強調しとかないと、あんなステキなユル・ブリンナーにメロメロになっちゃわない理由が無くなっちゃうもんねーとか思ったり。歌わずとも語らずとも入れられたらいいと思うけど、まあその時代の流行とかもあるもんね。あれは歌う場面じゃなきゃいけなかったんだな。なんとなく。

全体的にカメラワークがシンプルで、舞台版もこういうセットで演じたのかなーなんて想像できて楽しかった。劇場中継を思わす感じ。
ああ、ユル・ブリンナーは舞台でもどんなにステキだったことでしょう!映画の前に舞台で、初演から王様役だったそうな。
王様が1人で思いを語る場面は、あの歌はオッケー。あれは今で言うラップ調のセリフみたいなもんだと思う。

さりげなくラップになってるセリフって面白くて好きだ。「天使にラブ・ソングを2」の生徒たちが道端で喋ってる場面は、自然とラップになってる。海外とかのインタビュー映像で、一般の黒人が普通に喋ってるだけなのが自然なラップになってて笑った覚えがある。すっごいリズム感。
ちなみに鳳いく太作品も、言うなればラップ調。3月にやった「小動物の正しい飼育方」でも、実は歌うようなセリフがあちこちに散りばめられていた。つーか七五調。あれ?七五調だっけ、五七調だっけ。五七調なんて言葉はあったっけ。なんか七五調とそれと、どっちかが長調でどっちかが短調で、みたいななんかあったのを調べたけど忘れた。身についてないなあ。

子供の頃は実は、アンナと王様が結婚すればいいのにーなんて思ってた。
でも大人になって、まあ結婚するのは例え二人が愛し合ったとしてもちょっといろいろと難しいし、結婚と言ってもただ側室の1人になるだけだからむしろロマンに欠けるし英国人のアンナ的には心情的にも絶対無理…とかいう現実的な話は置いといて。

例え何の障害も無い自由恋愛可能の状態だったとしても、あの二人の間に生まれるのは恋愛では無く敬愛の気持ち、というのが一番しっくりくるのだな。
もちろん、自由恋愛可能状態のまま数十年の付き合いということになれば、もしかしたら恋が生まれることだって可能性としては無くもないかもしれない。けど、やはりそうじゃない気もする。
2人が互いに恋愛対象となる性別だっただけに、少しだけ、ほんの気配だけ、ほんのわずかな緊張感のようなものは生まれたけれど、それを双方が自覚したのかどうかもわからないうちに、そもそも本当にそんな気配があったのかもわからないうちに、もう一度シャルウイダンスで跳ね回るあの場面がとても良い。

私は乙女チック脳なのでどんな作品でもステキな二人が恋に落ちる展開は好きなのだけど、恋に落ちないことが自然である展開はもっと好きだ。

なんて嫌な奴なんだ、とか許しがたい奴だ、という感情を互いに持っている二人。そしてまた、尊敬の気持ちも互いに持っている。
その二人の関係が、この映画の一番大事な部分で、一番ステキな部分だなあと、改めて思うのだ。

ところでアンナの昔からの友人であり今も君が好きだよ的な英国人って可哀そう。
王様が子供みたいに嫉妬するという面白かわいい描写をするためだけの当て馬で、あいつのダンスはこうじゃなかった、と言って王様がアンナをきちんとホールドして踊るという美味しい場面のをつくるためだけの存在で、外見から何から1ミリも王様に及ばない人がキャスティングされている感。
わからん。ひょっとしたらもっと公平な目で見たらちょっとはカッコ良く見えるのかもしれないけれど。
つーかなんか気持ち悪いよね!自分の知人と結婚した女だってのに、その知人が亡くなったからって「僕の心はあの頃から変わってない」とか言ってきちゃうとか!純愛じゃねえよ!

とにもかくにもユル・ブリンナーがかっこいい映画だった。
あ、最初の、子供たちが出てきてご挨拶する場面も面白可愛かった。王様も子供も。

この映画を観てタイという国に関心を持って、たまたまその二日後にタイ料理屋で美味しいタイ料理とココナツサワーを堪能して、すっかりタイが好きになったのだった。単純。