人生で牽制されることのまあ多いったら
「もしかして俺のこと好き?俺そんなつもり無いっすよ」
的なことを非常にやんわりと遠回しに伝えられることがこんなに多い人間は私くらいではなかろべか。
ええ、ええ。それでも私は思いませぬよ?
「はあ?こっちにだって選ぶ権利ってもんがあるんですけど!うぬぼれてんじゃねえよ!」
なんて風には。
実際ね、好きになるかならないかなんて、ほんの一瞬の偶然の有りや無しやで決まるんです。
今は微塵もそんな気無くても、もしかしたらこの男を好きになってたパラレルワールドだってあるかもしれないってことも可能性として無きにしもあらず。なんです。
今はミジンコ好きじゃなくても、いずれ好きになる未来だって百年くらいの後に訪れないとも限らないではあるまいか。
つーかさ、私出してる?色っぽい雰囲気。
困ったなあと言わせるほど好意が見えてます?
いやーいいことですな。嫌いよか好きがいいですし、発情してみえるのは悪くない。“万年発情期”と言われる人類の、それこそ正しい姿ではありませんか。
なので私はこの手の勘違いには寛容です。
寛容な理由はもうひとつあって、他でもない私自身が非常によく勘違いをするからってのもあります。
わかる。お前らの気持ちはよおっくわかる。なんです。
でも私の場合「もしかして俺のこと好き?」の後に導き出される答は
「俺そんなつもり無いっすよ」
ではなく、
「そっかそっか悪い気しないっすね」
なのです。悪い気しないのです。
そして、そんなに私を好きなら少しは優しくしたってもいいんですぜとばかりに振る舞った結果、見事に相手から
「俺そんなつもり無いっすよ」
と言われてしまうのであります。
多すぎて面倒です。
大事ですな、牽制。
たまには「満更でもないっすね」があってもいいんですけど。
つーか勘違いから生まれた好意を己の中で育むことで愛が生まれるって手もあるんじゃないですかい?
まったく世知辛いですや。