11月になってます

11月になって1週間。ハイスピードで時が過ぎ去りました。
相変わらずあれこれ御託ばっか並べて、理想ばっかり高くって、私ってばいつになったら大人になるんだろうってくらい小さなことで迷いながら焦りながら生きています。
不惑の歳なんて永遠に迎えない気がします。

煩悩にまみれてあれこれ惑いながら生きるのは決して悪くないと思うし、いつまでも生々しく汗だの涙だの体液にまみれて生きていくのは理想だなんて思います。
くだらないことで悩むのもいいもんだなとか。

が、その「くだらないこと」が、本当にくだらないことだっていうのはいい加減卒業してもいい頃なんじゃないかなと。
自分の優先順位の下位だとわかっている事柄についてわざわざ悩むというレクリエーションは、若い頃に散々やったのでもうそろそろいいんじゃないかなとか。
なんでそんなレクリエーションをやるかというと、本当に悩むべきことで悩むとしんどいからです。自分にとって本当に下位の「くだらないこと」で悩みごっこをするのはただの暇つぶしであり、現実逃避です。
私は楽天家じゃなく、ただいろんな厳しさや恐怖から目を背けているだけです。
どうにかなるさと言っていますが、どうにかなるんじゃなく、どうにもならなくて逃げているのです。


他にも、ずーっと小さい見栄を張ってせせこましく生きてきたので、そろそろ大きい見栄を張ってできれば虚じゃなく実で勝負する割合を増やしていきたいなとか。
自分のぐうたらで招いたことを嘆くほど馬鹿馬鹿しいことはないなとか。それは例えば化粧を落とさないで寝てしまってお肌がボロボロとか老け込むとかそういう。


先日、人と飲んでいて、それはそれは楽しかったのですが同時に現実が目の前に立ちはだかる感覚がありました。
私はいつもいろいろ考えてるようで、実のところそこまで真剣に今後をどうにかしようと思わずに生きてきたことという事実がハッキリと見えました。見ないようにしてたのに。いや、もしかしたら本当に見えていなかった、気付いていなかったのかもしれません。

例えば私が結婚しないのは、結婚に興味が無いからだというのも確かですが、もしも結婚したいと思っても相手がいないという事実もあります。恋人がいても、その人から結婚したいとは思ってもらえなかったという事実があります。
結果は変わらないのだけど、そしてそれを知ったところで能天気に1人で生きていくことには変わりないのだけど、事実を直視することで、ちょっと別の考え方が頭に生まれたりとかってことはあります。

例えば、私が常に孤独であることとか、私は私の人生の主役であるけれど社会の主役では決して無いこととか、私が人を愛し愛される努力を怠ってきたこととか、そういったこと。
世の中の多くの人が抱えるであろうそういった寂しさや無力感を、あまり実感せぬまま今まで生きてきたことなど、あれこれ考える機会でした。

世の中には本当に楽観的で、人生を謳歌している魅力的な人たちがいます。
あるいは、現実を受け止めてその中で自分の意思で生きている人たちが。
でも私は、薄々感づいてはいましたが、それとは少し種類が違うのです。

「忘れる」という能力ばかり伸ばし過ぎて、私はかなり長い時間を傷つかないように生きてきたんじゃないかなと思います。
多少の傷を受けるのは、強くなるためにやはり必要なんだと思います。
本当は治りの早い若いうちにやっておいた方が良かったんだろうけど。


とりあえず「忘れない」ことによって多少の傷を真正面から受けながらしばらく生きていきたいなと思います。
その傷を眺めながら、どうして傷を受けるのか、傷を受けない方法は無かったのか、と考えたいところです。もしかしたら意外にも、真正面から受けた傷が思ったより早く治るなんてこともあるかもしれないし。

自分がどれくらい強いのか弱いのか、そういう根本的なことを今更知るのも悪くない気がします。

それにしても、私は幸せな物語をつくりたいのにそのための材料ともなる現実の苦しさを避けてきたなんておかしな話です。私はなんてたくさんのものに蓋をして生きてきたのでしょう。


ここまで考えさせてくれたその人は、そもそも私がこうやってグダグダ語ることすらレクリエーションだと言いますが。
私とは何から何まで違ってて、情け容赦の無い人で、理系の脳みその人で、いろんな刺激を与えてくれました。

そんでもって、元々いつも近くにいる人たちだって、私に散々いろいろ刺激を与え続けてくれているのかもしれないなあと、ここでようやく思い当たる訳です。私が鈍くなっているだけで。勝手に慣れてしまっただけで。

2013年11月はなかなかハードな幕開けでした。
12月のライブの準備をしながら、私は自分のこともなんとかしていきたいのです。

今さらながらで恥ずかちいね!