激団リジョロ「DRYuuuu!!!」

※本日の日記を書き終え読み返してみて、何やら褒め殺しみたいな日記になってしまったなあと思うのだけど、実際こう思ったのだからしょうがない。
と、先に言い訳しておきます。


まず、阿佐ヶ谷のシアターシャインという劇場の利を活かした見事な舞台セットだった。
私が劇場主だったら、この使い方は凄く嬉しいと思う。
「どうよ、うちの劇場!いいでしょ!こんなことできちゃうんだよ!」
って、誇らしくなる。

しかしいくら劇場の特性を活かすといっても普通はこんなことはしない。しないというか、できない。結局人を動かすのは気持ちなので、やろうとしないってのはできないってのと同じな訳だ。
(あ、こんなこと言ったら怒られるだろうか。発条は、私がこうしたいとさえ言えば加茂克は必ずやそれを実現するべく動いてくれる。問題は私がどういう絵を描くかなのだ。と、大道具さんの名誉は守っておこう)

まあ、それくらい大掛かりなセットだった。こんなもの、ちゃんと覚悟のある人間じゃなきゃできない。

よく工事現場で目にする、あれはイントレって言うのかな?がっつりと足場が組んであり、上と下との立体的な演技スペースが作られている。上の段から更に上へと昇る縄梯子があり、人が外の世界へ向かい消えていく。下の段の真ん中には更に地下へと降りて行く穴がぽっかりと空いている。劇場全体が、本当に深い深い土のなかの、ぽつんとした空間に思えてくる。登場人物たちの汗と怒号の飛び交う熱い空間を囲むのが、冷え冷えとした土の壁に見える。

私は怖がりなので、芝居を観てても「あれ大丈夫かな、落ちないかな、倒れないかな」といちいち心配になるのだ。
この日も最初のうち怖くてハラハラしながら客席でびくびくしていたのだけど、その心配もほどなく消えた。
道具の扱いやセットの扱いが、激しいながらも確かだったので、作り手への信頼感が生まれたのだと思う。
舞台稽古はそうはできてないであろうけど、稽古場できちんと稽古を積んだであろうと思われる。当たり前かもしれないけど、大切なことだと思う。

百聞は一見にしかずということで、おそらくそのうち公開されるであろう舞台写真をご覧いただくことをお勧めしたい。
激団リジョロHP
ホント、キチガイじみてるなってくらい素敵な舞台美術だった。小道具も楽しかった。

私はきちんと綺麗につくりましたって感じのセットが好きじゃない。このリジョロさんの雑然とした武骨なセットは正しく汚くて、本当に美しかった。

舞台美術の話が長くなってしまったけれど、書きたいのはやはり役者の芝居についてだ。

以下、今回のあらすじ(※演劇紹介サイトこりっちより転載)
「DRYuuuu!!!」詳細ページ

【あらすじ】
かつて工業都市として人々に栄えていた街、オックスは自然災害により崩壊、
更には二次災害の有毒ガスの発生により街は手を差し伸べられることなく
ゴーストタウン化していた。その街に幼い頃住んでいた若い男が一人戻って来る。
見る影もなくなった故郷を彷徨う男は微かに聞こえる機械の音に導かれ街の外れに辿り着く。
そこは“土竜”と呼ばれ、深く地底を目指し操業を続ける男達がいた・・・・・・・


物語の世界観は、SFコミック風。2年前の災害を僅かながらでも体感した人間、あるいはそれを忘れていない人間(つまり、関心を失っていない人間)であれば、即座に何をモチーフにしているかわかると思う。実際、この作品を何に向けて創ったかというのは劇団がハッキリ明言している。

この土中の場所で生まれ育った火焔丸。彼がウサギや八重の名を呼びながら感情をわーっと出す場面は良かった。その後、ここを出て行くことを選んだ展開も私は凄く好きだ。そして、そこからまた更に翻してのあのクライマックスの、音楽が鳴って彼が暴れ出す場面!観ていて興奮のあまり鳥肌が立つほどだった。
派手なクライマックスにニヤニヤが止まらず!
斉藤このむさん演じるジゴロウの問答無用のカッコよさ!ずるいくらいハンサムだし、何なのあのむき出しの腕の美しさ!立ち回りのカッコよさ!!どうでもいいけど斉藤さんって、すごく歯が丈夫そうだ。
ウサギの役も好き。あの女優さん、あのたくましい役柄と綺麗な声とのギャップがいい。土掘りの歌も良かった。あの歌をああして歌える女優が他にいるか?いや、まあいるだろうけど私は世界が狭いので初めてこんな間近で目の当たりにしました。あれが役者の歌ってもんだよね!あの場面、好きだなあ。ああいう凄く大切で必要な場面を、観てる方が決して気恥ずかしくならずに観ていられるくらいまっすぐ演じられる役者さんたちはステキだなあ。

そして今回、一緒に観に行った加茂克と共に良かったねえ、と意見が一致したのが「不座」という役を演じていた役者さん。まだ若そう?
本人にとって一番の見せどころである、思いのたけをぶつけるセリフに、とにかく全てが詰まっていた。
ここが見せ所だ!というシーンに、ちゃんとぶつけきったエネルギーの強さ。
激団リジョロっていうのはホントに泥臭い。こんな泥臭い芝居をするなんて、なんて時流に沿ってないんだろう。そこが物凄く私は好きだし、私自身もやりたいのはそういう芝居なのだ。
心の奥底を拠点にした演技をしながらも、その場の個人の感情で左右されたり役者の元気や体力の有無で芝居が変わる様なそんな脆弱なものじゃなくて、確固たる情熱の放出。それがいいんだ。

彼のその場面があまりに良かったものだから、最後のイタチの長ゼリフの最中は特に不座に注目して観ていたのだけど、ここでもすごく空っぽな、いろいろ洗い流されたような顔をしてて良かった。
ただ聞こえてくる言葉に身を任せて、彼の記憶にあるかどうかはわからない、地上に広がる四季を、大地を、故郷をぼんやり見つめるような目が良かった。ちょっとほめ過ぎだろうか。でもいいんだ、私にはそう思えた。これは愛だね。役者がいい芝居を見せてくれたが故に生まれた愛だね。


全体をみれば、どの役も終始叫び過ぎで聞き取れないセリフも多かった。キャラクター表現としては適切だろうが、団長以外の役は皆、抑えた芝居より前に出す芝居の方が多くてさすがにやり過ぎだろうと思った。
でもとにかくホントの本気の絶叫芝居なのだ。だからやり過ぎだろうと何だろうと心地いいし、そこから生まれるパワーが凄い。これもまた舞台美術と同じで、やろうと思って誰もがやれるものではないのだ。

これは完全に自省なのだけど、リジョロを観ると「ほとばしるエネルギー」とか、「パワーあふれる芝居」とか、そういった謳い文句を軽々しく口にするのが本当に恥ずかしくなる。
これですよ、これ。ここまでやって初めて言えるんですよ、と思うのだ。

もちろん熱のある芝居の手段はセリフを叫ぶだけじゃなくて、静かな中のハイテンションというものもある。でもそんなこと誰だってわかってるはず。

とにもかくにも、例えば「僕は元気だけが取り柄です!」と言っておきながら本当に取り柄になるほどの元気がある若手がそう多くないように、パワーだのエネルギーだの、見よ俺の魂!だの言ってる割にはそうでもないよ、っていう芝居や役者も山ほど存在する。
でも、リジョロは文句無しに、本気の芝居なのだ。
私はリジョロのそこが好きなのだ。
集団としての志の在り方が好きなのだ。団長の思いと団員の思いが同じ方を向いているところが好きなのだ。たぶんそうじゃないとこんなことできない。生半可な役者は嫌になるに決まってる。だってリジョロにいたらサボれないもの。大変だもの。

ちょっと待てよ。芝居の感想じゃなくてリジョロの良さを語る日記になってしまった。

ストーリーや脚本や演出について言えば、そりゃ私が作ったらこうするとか、私だったらこうはしないとか、そういう話になってしまう。私は作り手だもの。一致しなくて当然のことをわざわざここで展開したくない。全てうなずけるなら私は自分の作品を創ることをやめて、リジョロのオーディションを受ければいいのだ。
なので、内容についての感想は自分の心の中で思っておくだけでいいやと思う。

例えば、これは勿論けなしてる訳じゃないのだけど、八重の場面の最後のあの処理の仕方は大胆だったと思う。私にはまずああいう発想はできない。できても却下するだろう。
あの手法は有りだと思うし成功もしてたと思うけど、なかなか紙一重だと思う。こういうとこの自分との違いの比較は凄く面白い。

激団リジョロは今回のアリスフェスにも参加されます。11月かな?
劇団と言うものに所属したことのない役者さんとか、若手とか、もちろんそれ以外の役者や作り手、そしてお芝居が好きで劇場に足をお運びくださるお客様がた。なんなら芝居に興味の無い人にも言っちゃう。
とにかくみんな一度はリジョロを観るといいですよ、と。

好き嫌いはそりゃある。どんな芝居にもある。
けど、もしも観てみて嫌いだなと思ったとしても、観て絶対に損は無い。何か眠ってるものを揺さぶられるような芝居を創る人達なんだ、リジョロさんは。

ああ、これで私がリジョロなんて大嫌い!だったらもっと説得力が出るだろうに。

とても好きなのです。幸せなことに。