こだわり

こないだの公演の稽古での話。

「早朝の来訪者の話を家族全員が集まって聞いている」
という場面で、とある人物が、いつも帯に差している筈の小刀を差していなかったのだ。

終わってから、
「朝だから差してないの?」
と聞くと、
「寝起きなので」
とのこと。

状況を考えてみると確かに無くてもおかしくないし、その方が見た目の印象が面白いなと思ったので、全員差さない方で統一することにした。

お客さんが見て気付くかどうかはわからないけど、もし気付いたら
「あっ」
と思ってもらえるようなこと。
役者が自分の状況を見失わずに、脚本の意図を損なわない小さなこだわりを入れ込むというのがいい。

意図を損なう、意図に沿わない、そういうことをやった時に
「そんな自分設定入れこんでんじゃねえよ!」
とか、
「そんな小さなことやってもわかんねえよ!余計なことに気取られてんじゃねえ!」
と、私は怒ることがある。

けど、採用されるにしろされないにしろ、誉められるでも怒られるでも、稽古の段階で何かアクションを起こしてくれないことには始まらない。

いずれにせよ、小さなこだわりを入れてくるくらい役と向き合ってくれるのは好ましい。
私が思い付かないことを見せてくれるのが嬉しい。

お客として観に行った時も、明らかにこの場面はこの人が主役、という場面で端っ子の人を見てしまう。没頭して観ててもそれはもう癖みたいなもので。
その端っ子の人がいい芝居してたりすると、すごく嬉しいのだ。
端っ子に小さなネタを発見すると、ちゃんと愛情持って作ってるなあと思うのだ。

が、
時々それがあからさま過ぎて鼻につく時もある。
せっかくの思い付きであっても全部採用していいというものじゃない。
こだわるにしても、全体の雰囲気を邪魔しないさじ加減というのを見極めることがやっぱり必要なのだ。

やらない、というこだわりもまた大事なんである。