役者としてのこと

自分が役を演じることについてあまり書いたことがありません。
その理由のひとつは、「役者たるもの演じて見せてなんぼ、言葉で語るもんじゃない!」っていうのもありますが、それを言ったら脚本だって演出だって、「観て感じてもらってなんぼ、あれこれ裏のことを語るものじゃない!」と言いつつ終わった芝居の裏話なんかつい書いちゃったりしてるんですよね。

そう、役を演じることについて書かない大きな理由は、書くべきことがほとんど無いから、なんですよ。別に演じて見せた時点で完結してるし、私の場合は演じる最中や過程で特別変わったエピソードがある訳でもない。語るべきことなんて無いんですよ、ホント。

演出脚本としての裏話はまあ、登場人物の裏設定であったり、企画公演をやるにいたった経緯だとか、役者の稽古場こぼれ話やら、タイトルの意味(「オーガッタジャ!」は、東北・北海道の言葉で「繁ったなあ!」ですよ、とかね)等など、話しても差し支えないような無駄話はあるんですけど。
役者として、実はこれはこうで・・・みたいなのはほぼ無いんです。まあ、大体の役者がそう思ってるからあまり語らないんであろうし。

他の人の演じた役ならねえ、おお、そうだ!こないだの「スキッパーハイ」で澤乃井ディレクターが来てた狂い咲きアロハシャツの逸話なんてステキですよ。
あのアロハシャツ、もともとは発条にも何度か出演してくれた岩井將行くんの衣装なんです。
岩井くんとは脱線劇団PAGE・ONEパート2という劇団の「極道の女・・・の旦那達」という芝居で初対面したのですが、私が任侠組の姐さんで、岩井くんはそこのバイト組員という役どころでした。
(ちなみにその任侠組の組員が加茂克と、橋本利明さんでした。ふりぃすたいるの南雲美智次さまは敵対する哀川コーポレーションの構成員でしたなあ。あれは出演者関係だけ見ても運命的出会いの芝居でした。ありがたや)
その時岩井くんが着たのが件のアロハ。私物だと聞いて驚いたのを覚えています。

その後PAGE・ONEの芝居で杉浦直くんを初めて観た時、鉄砲玉の役を演じた彼がそのアロハを岩井くんから借りて着てまして。
(そう、杉浦くんもPAGE・ONEの出演者でした。発条ロールシアターはPAGE・ONEのコバンザメでごぜえます)

その後も何度かうちの芝居での衣装候補に挙がりつつも叶わず、今回久しぶりに舞台に登場したという、由緒正しき衣装なのであります。
岩井くんの私服であるそのアロハ、初めて見た時から私めちゃめちゃ惚れ込んでたのですが、どうやら杉浦くんが岩井くんから譲り受けてたらしく、でもあまりに私が気に入ってるのを知って、今では杉浦くんの手から我々の手に渡り、発条ロールシアターの衣装として預からせていただいてる訳です。
そんな大好きな衣装だったのですよ。
とかね。


しかし今回!ひょんなことから思い出したのですよ。自分の演じた役で一つだけ、ちょっと今までに無い経験をしたなあということがあったのを。
あれは2011年3月。「オーガッタジャ!」という芝居でした。
その時の私の役は、かつて首を斬られて処刑された罪人というものでした。まあ現代の人間から見たら思念しか残ってないわけですが。
登場人物たちが引き寄せられた廃ビルの中に残る思念、ということで芝居の冒頭とクライマックスに出てくるだけの役で、セリフは最初に一言と、最後に長々と自分の今までを語るというだけの、ただそれだけの役だったのです。
語る内容も、恨みや怒りや悲しみや後悔、そんなものの混じらない、ごくシンプルなものでした。
今思うとこのセリフなかなかいいなあ。自画自賛
で、自ら土壇場(斬首の刑場ですね)に歩いて行って、「斬ってください」と言う。刀を振りあげる首斬り人。
ああ、この芝居いいですねえ。再演しちゃおうかな。自画自賛です。

その稽古中にね・・・

あ、いや、うーんやっぱりやめとこう。
すいません。なんて言ったらいいか表現が見当たりませんでした。つまりそういう体験をしたわけです。もしかして20年以上舞台に立ってて初めてだったかも。

そんな感じでね、たまにこういう瞬間があるんだなあ、役者って。って、それがわかったいい芝居だったんです。でも毎回それがある訳でもなく。勿論そんなもの無くてもいい芝居はいい芝居なんで。
でもやっぱり特別だなあと。

ちなみに首斬り人の役は杉浦くんが1人2役で演じてくれてたんですが、さすが居合いもたしなんでるだけあって、瞬間的に集中して、研ぎ澄まされた首斬り役を演じてくれました。メインでやってた役がお客様にはすこぶる評判良かったのですが、私個人としては首斬り人の役の方が彼の本気が見えたかもなんて思ってるくらいです。
でまあ、その稽古中の「ああ・・・」という瞬間、同時に彼も実は物凄い渦に巻かれてたらしく、そうか、そういう瞬間ってあるのねえとまた実感した訳で。確か劇場入りする直前の稽古とか、かな?

役者が登場人物に憑依される必要は無いと私は思っていますが、でも憑依されることがあっても面白いんじゃない?とも思います。同時に理性が働いてさえいれば。

無理やり役になりきろうとする若い役者さんがいますが(若くなくても稀にいる)、個人的には別に必要ないと思います。なんだかイケないセックスはダメ、と思い込んでるのと似てるっつーか。
イケなくても気持ちいいセックスはあるじゃん、大事なのはお互いをよく見て感じることだよ、というね。
自分がイキたいだけだったらオナニーしてればいいじゃない、という。そういう感じ。
だからってイッてるフリなんかしたって虚しいしバカバカしいし次につながらないし相手に失礼だからフリはしちゃダメよ、って感じかな?
それでも相手にイってもらわないと満足できない人もいるんで、たまには必要悪かもね、くらいの柔軟さはあるつもりですが、自分はやりたくないし、人にもやってほしくない。自分とまったく無関係なところでやられる分にはいいけど、そうか簡単にイケるんだあ・・・なんて勘違いを世にはびこらせて欲しくないし。
だからって不感症のまま居直ってる相手とのセックスなんて面白くないし。
あれ?例えがずれてきたかな?

セックスでも芝居でもイキたがるのは女の方が多い。でもイケないならイケないで遣り方があるってもんです。あと、自己鍛錬をすればいいんだよ。その時だけ求めようとしないでさ。
その点、男はシンプルですよねーと言いたいところだけど、実はそうとも限らない。まあ人によるな。男でも女でも。あと、いい経験はやっぱり人を育てるわけだけど、本人の自覚が無かったらその価値がわからなかったりする。
うーん、おっかしいなあ。自分の役者としての話をする筈のつもりがこんな話に・・・。


まあともかく、そういう経験もたまにはあるよっていうお話でした。