セイルオフの裏側の話

脚本を書くようになってから今までで、こんなに苦労を感じたのは今作が初めてです。本当に手こずりました。
どうしてかというと、おそらく今までと書き方を変えたからなのでしょう。

そもそもどうして私の肩書が「作・演出」では無くて「脚本・演出」かと言いますと、発条ロールシアターの作品は全て、主宰・加茂克の原案を元にして書いているからです。
正真正銘ゼロから書いてる訳ではないので、まあ、作じゃなくて脚本かなあと。
で、今までは割と加茂克の意向になるべく沿う形で物語を組み立てていたのですが、前回本公演「ファンタステカ」の時に、ずっと発条を支えてくださっているある方からのある講評をいただいたことから、このままじゃいけないのかなと思いまして。
具体的には何がどうとは言えない(というか、なんと言っていいかわからない)のですが、うーん、強いていうならもっと作品を背負いたいなという気持ちになったというか。

もちろん今までだって台本を書くのはあくまで私の役割であり、原案はその骨組みを考える段階での材料という意味合いでしかありませんでした。
ただ、私が知らず知らずのうちに原案に頼り過ぎていて、原案に登場する人物や設定をどうしても描かなければいけないということにとらわれたり、私と主宰の言いたいことが上手く融合しないのに無理やり一緒に盛り込んだりして描いていました。
そのためなのかどうか、今までの作品にはちょっと無理やりだったりちぐはぐだったりする雰囲気が漂っていたそうです。
それでも「面白かった」と言ってくれるお客様は多かったし、私自身もその雑多な作りの作品たちが、決して嫌いではありません。

が、今回の「セイルオフ」ではそこの部分をどうにかしたいと考えて・・・とは言え、具体的にどうしたらいいのかわからなく、書いては直し書いては直し(これはいつもそうですが)、そのうちに脚本の書き方すらわからなくなり、いろいろなもの(主に主宰)に当たり散らしたり、叫んだり、泣いたり、逃避したりしながら何とか書き進めました。

結果を言えば、いつもよりもずっと原案を尊重した作品になったと思います。
むしろ、今回の脚本は誰が書いたの?と言われるほどに。
それでいて、不思議なことに今回の作品が一番私の色が強く出た、書きたいものが書けた作品だなと思っています。

そういえば、昔はじめて(というか今のところその一回きりだけど)好きな小説を元に戯曲を書いた時も、原作に描かれたものを残し過ぎたあまり、原作の良さも芝居の面白さも色褪せさせてしまったことがありました。
20年近く経ってようやくそこから一歩踏み出したのかと思うと、トホホです。

途中で何度か、もうダメか?!と思いかなり焦りましたが、今回の苦労はしておいて良かったなと思います。

もう一度言いますが、過去の作品もそれぞれみんな好きだし、面白かった!と言ってくださる方もたくさんいらっしゃることを、有難く受け止めております。

そのうえで、今回自分の中でひとつ新しい道が拓けたことはとても嬉しいことだと思っています。

もちろん、過去の作品を書いたからこそ成長や発見や閃きがあるということも付け加えておきます。当たり前のことではあるんだけど。
特に2011年春の「オーガッタジャ!」、同秋の「ファンタステカ」、2012年の企画公演「no title」あたりで得たものはとても大きいです。それ以前の作品ではあまり考えなかった部分で頭を使ったりしたので、新しい発見のひとつひとつが大きかったのです。

芝居をやってきた年数に比べると実に成長が遅いなあと思い我ながら嫌になっちゃいますが、こればっかりはどうにかしたいと思ってどうにかなるものではないですから。

今回はいつもの比にならないくらいあちこちに迷惑をかけてしまいましたが、己に呆れ、憤り、悔しさに歯噛みしながらも、私はただ芝居を創っていくのみです。
そういえば、もう充分にその魅力をわかっていたつもりなのに、今回、まだまだもっと芝居って面白いんだなと実感しました。こんなことができる、あんなこともできる、というアイディアが湧いてくるのは、私の能力では無く舞台の魔力なのかなあと。次回作ではこんなことがしたい、あんなことがしたい!って、ああ、なんて幸せ!

早く次回作を書きたいです。

注:こういう内容の話を口語体で書くと、なんだか1人インタビューといった感じになるな。なんか自己顕示欲全開、超絶自意識過剰という風情で気持ち悪いわ。まあいいか、そもそも「自分語り」だし。