手のひらで転がすのがイヤ

手のひらで転がされるのもイヤ。

気づいたら勝手に転がっちゃってたってんならいいけど、片方が理性でコントロールしているみたいな関係は嫌いだ。お互いがいつでも本気勝負で対等に向き合ったりムキになったりする関係が好きだ。

とかそんなこと言ってるから周囲の人間はヒジョーに疲れるそうな。
ごめん。でもそうなんだもん。

人間関係に求めるものの優先順位のトップグループに、
「本音で付き合いたい」
がランクインしているためにこうなってしまうのだろうか?喧嘩もできないような、へーぜんとした顔でかわされるイメージのある「手のひらで転がす」がイヤなのは。

「喧嘩しても壊れない仲」というのを理想に思ってるせいもあるかもしれない。この理想、子供の頃『トムとジェリー』を観過ぎたせいじゃあるまいな。仲良く喧嘩したいのか?

本音で付き合うこと自体は別に悪いことではないのだろうけど、私の瞬間湯沸かし器な性質とかワガママな思考とかが合わさるのがいけないんだろう。

そういえば、本当に手のひらで転がすのが上手い人は、決して気取られることなく上手いことコントロールしてくれるんだろうか。
だから転がせるんだろうか。
それだったら私もイヤじゃないかもしれない。転がされてるとわからなければ心は平穏だ。

ということは、
「手のひらで転がされるのがわかるのがイヤ」
なのだろうか?

っていうか、「手のひらで転がす」という表現がそもそもイヤだ。
なんか、しゃくに障る。

自分には転がせないな。
胸倉をつかんで転ばすのだって、危ういもんだ。