稽古場においてと、それに付随する話

稽古場で私が怒りを外にあらわしている時は、怒らなければならないと判断した時だけです。
相手の言い分を聞いた時に「まあ私も通った道だわ」とか「成長過程なんだろうな」とか、やや上から目線でゆるりとした気持ちで見ることができるようになりました。内心では怒りに満ちている時でもマイルドな言い方ができるようになったのは、そういうやや上から目線での捉え方をするようになったからです。
あくまで本人比なので、それでも癇癪持ちだと思われているかもしれませんが。

意見が食い違った時に「自分にとってこの意見のどこがどれだけ重要なのか」を常に考え直さないと、ただ主張を通すことが目的となってしまったりしてしまい本末転倒です。なので私は、頭の中で自問自答を同時進行させながら議論をしてたりします。器用でしょ。
確固たる強い信念は、柔軟性を伴ってこそより強くなるのです。

今までたくさんいろんな人と本音で話してたくさん自問自答をしてきたことは、今とても活きていると思います。私は本当にたくさんの道を目にして、実際自分でも歩いてきました。

相手の気持ちを推し量るのはとても素晴らしいことですが、高度な技でもあります。わかったつもりでいる時ほど何もわかっていないもんです。自分で勝手な解釈をしてないで、思う存分言葉で語り合うことも必要なのですよ。

私は発条ロールシアターについて、
「これは私の芝居である。ここは私の稽古場である」
と言い切っています。これは別に独裁政治的な意味では無く、王の自覚があるというだけのことです(大仰になってきたぞ)。

王たるもの、国を治めるには決して倒れてはいけません。何かあった時に民を守り民の為に戦うのも王の仕事です。
そしてまた王の真意をわかってもらわねば国を統ぶことはできません。誠意を持ち、力に頼ることなく民の信頼を得なければならないのです。まあ、ステキ。

ちなみにこの王の国にいるのは、ほとんどがいずれ国を出て行く旅人です。再び国を訪れるかどうかは旅人が決めることであり、王にはその自由を侵害できません。それでも、そんな細かいことはさておき、王はその旅人が国を出た後の彼らの行く末まで考えているのです。あ、行く末って事は無いな。次の1歩、2歩くらいまでかな。

旅人たちは自分ひとりでこの国を渡ろうとせず、この国のルールにのっとり、王の采配を信じてくれればいいと思います。
悪いようにはならない筈です。

それが王の仕事であり、王は頑張るのが当然なのです。