自分の問題

「自分はこの人から縁を切られてしまったのではないか」
「愛想を尽かされてしまったのではないか」

と思い悶々とすることがある。

ここで問題なのは、そうやって思い悩んでしまうことではなく、思い当たる節があるってことの方だろう。

今更どこをどう変えれば、愛想を尽かされないような、堂々と生きていけるような人間になれるのか、わからない。

さて、稽古場で毎回やっている訓練のひとつに、「呼吸から改善していく発声法」なるものがあるのだが、これがもの凄く地道な作業なんである。
余計な力を入れずに呼吸をすることが、音を発することが、こんなにも難しいとは。

己の肉体の内部に音を響かせること、そんな当たり前のことに何故もっと早く向き合わなかったんだろうと、後悔と反省が渦巻いている今日である。

これが例えば筋トレなら身体はすぐに目に見える変化を見せてくれる(筋肉が張ったり、筋肉痛になったり。それが方向として正しいかどうかはまた別として)が、今までの凝り固まった心と身体の概念を覆し、新しいものを取り入れて身体に覚えさせるのは本当に時間がかかる。

ちゃんと前に進んでいるのか不安になりかけながら、日々手探りの状態である。

でも、焦っても仕方ないのだ。ひたすらやるしかないのだ。
がむしゃらになり過ぎず、脳みそばかりで考え過ぎず、ゆっくりと真面目に取り組むのが1番の早道なのだ。
違う道に入り込むことにだけは充分に気をつけなければならないから、自分の肉体と心に耳を澄ませることも常に忘れてはならない。

呼吸法と発声法を一から見直す根性があるなら、己の振る舞いや人への接し方を見直すことも、できなくはないんじゃないかなあと、何となく思うここ最近である。

とにかく今、歩き始めなければ一歩も前に進まないのだ。
そして、歩き始めさえすれば地球の裏側に辿り着くことだって不可能ではないのだ(船か飛行機に上手く乗れれば)。

何だかちょっと、道徳の教科書のようだ。

こうやって、たまには自分に深く言い聞かせながら、さて頑張ろう。