正月らしく

今年の抱負でも…と思ったのだがやっぱりやめた。
正月らしくも何も、年末らしさも満喫してないし。大掃除も年越しそばも味わってないや。あ、紅白は見たぞよ。中村中(なかむらなかではありません。なかむらあたる)は美人だのう。
性同一性障害だとのことですが、なかなか思春期は辛かっただろうな。思春期ばかりじゃないか。異性についてる筈の物が自分についてるって、ちょっとなかなか戸惑いそうな予感。しかも世の中、人を区別する手段として、性別にかなり重きが置かれてるもんなあ。自分が自分の意思を尊重されずに望まないカテゴリーに分類され続ける人生って、嫌だろうな。
とはいえ、性区分が無くて更衣室とか浴室が一緒だと困る人も多いだろうし。うーむ。隠れて着替えたい人だけトイレで着替えるとか。
待てよ。そもそも性区分て本当に必要なのか?本当?
動物みたいに、すっぱだがで道歩いてて、まぐわいたければまぐわって、嫌なら威嚇して追い払えば良いんじゃないか?ただし、痴漢とか強姦罪とか集団強姦罪など、性犯罪の罰は今まで通り、あるいは今まで以上に重くしとこう。文明社会なんだし。更衣室も一緒。あ、更衣室必要無いか。裸だから。
性転換の手術ももっと安全に、もっと罪悪感無く手軽に受けられるようにする。韓国の整形くらい一般的なものに。なりたいカラダになれる。
オリンピックももちろん男女の区別無し。階級分けのみ。それでも柔道の48キロ級は谷亮子が優勝すると思う。
おお。なんだか、まったく問題が無いような。
そうなったら同性愛とか異性装とか、その他、別に個人の趣味なんだからどうだっていいじゃん、って事にまで口をつっこむ下卑た根性の人も少しは減るかな。減るよな。男女の別が無いなら。

素っ裸で歩き回るのは情緒が無いなあ…ってのも、性別にこだわる文明を築き上げた故の価値観に過ぎないよな。
「あなただけに見せる生まれたままのカ・ラ・ダ」なんてくっだらない純潔アピールに頼らなくたって、恋はできるもん。
恋はできるし、そんだけあちこちに性器がぷらぷらごろごろしてる状況だと現代文明人なら逆に性欲が減退してしまいそうだから、それでも欲情できる無敵精力のツワモノだけが子作りすればいいし。子供ができるかどうかは運命次第。
女だからって子供ができるとは限らない、作りたいとも限らない。
「できない辛さ」から、義務的なものと性的固定概念だけでも取り除ければ、単純に「しかたない」と思える場合も増えるんじゃないだろうか。

つづく