新体制始動ですよ

早稲田スポーツさんの記事、野球部の新体制始動特集です。

wasedasports.com

 

ホント、いつもいつも読み応えのある良いインタビューをありがとうございます。

 

今回一番読んでて胸が高鳴ったのが、福岡くんと瀧澤くんの回(第一回)で、福岡くんが自分の希望進路について明言したところ。

将来の夢は?という問いに答えてるのは見たことがありますが、こうして自分の言葉でハッキリと語っているのを目にすると実に嬉しいものです。

 

sportsbull.jp

 

頑張ってください。本当に本当に心から応援しています。そして、きっと希望の道に進めると信じています。

 

 

スポーツ選手が「皆さんの応援が力になりました」と言うことがあるけれど、あれって私の中では今まであまり現実味が無い言葉でした。

現実味が無いというか、実態を感じられないというか。なんだろう。

例えばフィギュアスケートの選手が、「皆さんの声援が聞こえて頑張れました」と言うのに対して、「滑ってる最中も声援って聞こえてるんだ」くらいにしか感じていませんでした。字面にするとひどいな、私の感性。

ファンの声援に言及してくれるというそれ自体が嬉しくて、応援してる側は自分が応援したくてしてるだけなのにそんな風に言ってくれるなんていい人だなあくらいの感じでした。ちょっと冷めてるね。

 

基本的にアスリートは誰かの後押し無しでも自力で頑張れる、頑張れるだけの努力を積み重ねてきた人たち、という風な認識なので、応援があっても無くても自分の力を発揮できると思っています。

でも、それも間違ってはいないのだろうけどそれだけではないのかもしれない、という風に考えを覆す出来事がありました。

 

昨年の秋の早慶戦を観てる時、2戦目だったか3戦目だったかは覚えていませんが、どちらにせよマウンドに今西くんが立っている時だったと思います。2戦目かな。

最終盤の厳しい局面(慶應の3、4、5番が続く無死の状況とかだったかな?とにかく何番打者だろうとまるで安心する余地の無い状況だったかと。動画観ててもそのあたりは興奮状態になってしまうので、試合展開については記憶が定かでない)で、声も枯れよとばかりに観客は応援の声を飛ばしていました。私も外野席から一所懸命応援しました。一球ストライクをとる度に、マウンドに届けという思いで手を叩きました。

その最中、不意に我々の応援の声が投手の背中にダイレクトに届いたような錯覚を覚えたのです。神宮の、早稲田を応援する観客すべての声援が。

あ、なんだこれ。と一瞬思ったその直後、今西くんはピンチをしのぎ切る投球をし、そのまま早稲田が勝ちをもぎ取ったのです。

そうしてその日私は生まれて初めて、「応援ってマジのマジで力になってんだ!」と実感したのです。

 

いやー、人によっては何この人とんちんかんな話してんの?と思うでしょうが、自分がスポーツするわけでもなく、観戦するのも大して経験の無い私としては、初めての感覚だったのですよ。

基本的にスポーツと縁遠い私は、そこまで熱心にのめりこんで応援するという経験があまりありません。スケートと野球では競技の性質が違うので同じ熱心でも何かやはりちょっと違う感覚だし、プロレスとも違います。何かとは何か、というのはうまく言えないのですが。

あ、もしかしたらサッカーとかは近いのかもしれない。でもサッカー観ないし。

 

一言で言うなら、私は「応援」というものに対する信奉の気持ちを持っていませんでした。

ただ早慶戦のその時は、とにかくひたすら早大の勝利を信じて応援していました。

 

でも応援が届いたような気がすると言っても私が感じたに過ぎないので本当に届いたかどうか。いや、届いてたよ、あれは絶対。あれこそまさに「声援が後押し」だよ。そうに違いない。でもなあ、うーんどうだろう。

なんて思っていたのですが、今回の早スポさんのピッチャー回(第3回)で今西くんが、

「(早慶戦3戦目では)マウンドに上がる時にスタンドからの応援の声が力になるというのが感じられました。」

と言っていて。やっぱり届いてたんだー!観客と選手とで同じ感覚味わってるー!と思って…あれ?あ、マウンドに上がる時に、だった。あの投球の最中じゃなかった。

私の心象風景的には、タッチのクライマックスで達也の後ろに和也の影が見えるコマくらいの劇的な感じで今西くんの背中に声援が届いてたんだけど、そういう訳ではなかったのか。それとも端折ってるだけ?

いやいや、マウンド上がる前だろうと最中だろうと力になれたのならこの上ない幸せです。

今西くんの言葉自体はそう珍しいものではないかもしれないけれど、私自身の体験とリンクしたため、すごくすごくなんと言うか興奮してしまいました。

 

とにもかくにも、応援はマジで力になる、ということを発見した試合でした。嬉しいねえ。応援するしかできない、じゃなくて応援で力になれることもあるんだねえ。

 

あ、もうひとつ。

私は割と「もう勝てないかも…」と心の中で諦めてしまう癖があるのですが、早慶戦は最後まで早大の勝利を信じて応援することができました。

3戦目の最後の最後、ふと空に目をやると、暮れかけた空にきらりと何か光ったのですよ。気球みたいな。でも気球が唐突に飛んでいるとは考え難いので、飛行機だったかもしれません。とにかくうっすら紫がかった銀色の空に、銀色の光が見えて、

その瞬間、

「あ、きっと勝つ」

と思ったのでした。

勿論それはオカルト的なお告げめいた何かでは無くただの私の願望ではありましたが、観る側もやっぱり信じて応援しないとな、という気分になれました。当たり前?いやーホント、スポーツ観戦になれてないもので。←しつこい。

 

信じて応援と言うのは、応援団の皆さんの姿を見て思ったことでもあります。早稲田だけでなく慶應も。胸にくるものがありました。

だってさ、試合開始の何時間も前からパフォーマンスやったりしてんだよ?どんだけ体力オバケなんだ。体力だけじゃない、精神力も。選手だけでなく応援団の皆さんも本当に凄いの。感服。

そうそう、早慶戦は土日で決着がつかず月曜日の3戦目にもつれこんだのですが、平日の昼間にも関わらず慶應側が外野まで応援席埋まってるのに対して、早稲田は内野だけでやっとという感じでした。聞いた話によると慶應は講義が休みで早稲田は休みじゃなかったらしいのでそのせいもあったのかもしれませんが、とにかく球場でその差を見た時は、やばい…と思いました。応援で負けてる!って。

それでも、熱のこもった応援は数の差をものともしなかったのです。

と言いたいところだけど実際はかなり差は感じました。音量がまず違ったもの。だけど終盤は本当にその差を埋めるだけの熱量がありました。

私も早稲田を応援する皆さんとこっそり心を一つにして応援した結果、終盤はびしょびしょに頬を濡らしていました。

 

年が明けてもなお、新チームへのワクワク4割・四年生引退の寂しさ6割くらいでいましたが、今回の新体制始動特集を読んで一度寂しさをリセットできました。

これからも不意に寂しく思うことはあるだろうけど、それ以上に新チームへの期待を胸に、優勝を信じて、リーグ戦の開幕を楽しみに待ちたいと思います。

 

 

 

補足です。

フィギュアスケートと野球では何か違う…と書きましたが、そりゃそうだよ。フィギュアは採点競技だもの。

観客の声援が良い演技を生み出すことはあるけれど(例:コンサート状態の歓声の中で滑るブライアン・ジュベールさんの「Rise」。特に冒頭4回転のコンビネーションジャンプが決まった時の会場の大爆発状態はすごいものがある)、採点すべきポイントがいっぱいあるがゆえに、印象通り金メダルになるとは限らない。

2010世界選手権に於けるジュベールさんの「Rise」にしろ、2008年世界選手権に於ける中野友加里さんの「スペイン奇想曲」にしろ、観客の感動は金メダル級でも順位がそれに比例するとは限らない。

でも、こうしてパッと思い出せるくらいに盛り上がって興奮したプログラムなのは間違いないし、一大会の結果にとどまることなく永遠の金メダルを授けられた演技、と言っても過言ではないくらいの価値があると思うけど。

 

プロレスの、会場中の視線がリングに注がれるあの感覚もたまらないなあ。ベストバウト級に良い試合だと本当にお客も心がひとつになって一体化するの、あれゾクゾクする。

柔道もそれに近いものがある。ベストバウトといえば天理の中野くん対国士舘の斉藤くんよね!3月も8月も夢中で応援したなあ。

関係無いけどあのインターハイ後に出た「近代柔道」の表紙がインターハイ団体優勝の天理の皆さんだったのだけど、監督も含めてみんな笑顔ですごくいい写真だった。

 

野球は…そうだなあ。あの広い広い空間がひとつになる感じは奇妙でもあり、そしてやっぱり鳥肌が立つほど面白いね。

真冬の夜の夢のような話

ここしばらく風邪をひいておりません。10年くらい前に姉にもらって寝かせておいたガスファンヒーターをこの冬ようやく稼働させ始め、そのあまりの暖かさに油断して風呂上りに素っ裸で30分くらいゲームしたりしてるのですがそれでもひきません。重い風邪なんて丸一年はひいてないと思われます。

最後に重い風邪引いたのいつだっけなーと考えてるうちに思い出したことがあります。

あれは忘れもしない、と言いたいところだけどいつだっけ。2018じゃないことは確かです。でも2016は日記を読む限り凄い元気にトレント・ハーモンの話で盛り上がっているのでおそらく2017年の出来事でしょう。確か2月の初旬だったのは覚えています。

 

その日の夜、21時過ぎくらいだったでしょうか。私は出先から家まで歩いて40分くらいの道のりを何故か歩いていました。そういう気分だったのでしょう。変な夢みたい。

が、歩き始めて間もなく激しい腹痛に見舞われたのです。

私は20代半ばくらいから何故か1年に1度、激しい腹痛をともなう風邪に襲われるという謎の体質の持ち主となりました。しかも突然胃痛により幕を開けるのです、その風邪は。

この夜も事前に何の兆候も無かったのが突如腹痛に襲われ、それでも初めはだましだまし歩ける程度だったので何とか家まで持つだろうと思っていたのですが、あっという間に動けなくなるほどの痛みに変わってしまいました。

 

痛みの種類としては、賞味期限が3か月過ぎた牛乳を飲んで下痢の症状を起こした時くらいな感じ。そんな経験無いけど。

なんというか、胃を絞られてるみたいな痛みです。それも、3分に1回くらい急激にぞうきんを絞ってくるみたいな。

アニサキスとか尿管結石とかと同程度なんじゃないかというくらいの痛みです。マジで。

病院に行っても「あ、お腹に来る風邪ですねー」と呑気に言われて何度絶望したことか。駅でうずくまって立てなくなったこともあるし、一度なんて痛みに耐えきれず夜中にタクシーで病院まで行って点滴を打ってもらったこともありました。点滴打たれながらも悶絶してたけどね。

とにかく、私にとってはこれ以上の痛みと苦しみは未だ経験したことがないってほどの胃痛なのです。

 

そんな訳で陣痛のように少しずつ感覚を狭めてくるその痛みに(陣痛経験したことないけど)とうとう道にしゃがみ込んで動けなくなってしまいました。タクシーに乗りたいけど捕まえることすら今は無理!みたいな。

歩いていたのが環状八号線という大きな道路だったこともあり、人や自転車がどんどん私の横を通り過ぎていきました。酔っ払いだと思われてるだろうなあと頭の片隅で思いつつもそんなことどうでもいいくらいの痛み。

と、誰かが声をかけてきました。

「大丈夫ですか?」

なんとか顔を上げると、中学生くらいの男の子が二人、自転車にまたがった状態でこちらを見ています。

つい今しがた私の横を通り過ぎた子達が、ちょっと先で止まって戻ってきたようでした。

(って、こんな風に書いてるけど、通り過ぎた自転車なのか新たに逆方向からやってきた自転車なのかは判別する余裕は無かったですけど。イメージ映像)

 

大丈夫か大丈夫でないかで言えば全然大丈夫じゃないんだけど、救急車を呼ぶか呼ばないかで言えばこれは呼ぶ必要の無い状態。ホントにものすごく痛くてこの世の終わりみたいな思いでいるけど救急車案件では無い。良くも悪くも今までの経験上それはわかるのです。この時が初体験だったら迷わず呼んでたと思うけど。痛みに弱いし、私。

自分でもどうしていいかわからないけど、手立てとしては痛みがちょっと引くのを待ってタクシーに乗って家に帰って横になる、くらいでしょうか。ホントは家に帰っても痛い事に変わりは無いのでものすごく憂鬱なんですけど。

で、現状まだタクシーに乗ることはできないくらい悶えてる状態なので、少年たちにやってもらえることは何も無いわけです。

とは言えすごく心配そうにというか、どうしよう…って感じで立ちすくんでいる少年たちに、

「大丈夫です、ちょっとお腹が痛いだけなので」

とヘラヘラ笑いながら言って、笑いながらも痛みに耐え、ちょっと追い払うくらいの勢いで大丈夫と連呼しました。

そこまで言うなら…と思ったかどうかわかりませんが少年たちは帰っていったようです。つーか本人大丈夫って言ってたら心配だったとしても帰るしかないわ。

 

その後、自分がうずくまっていたのがレンタカー屋さんの前だったことに気付いて、とりあえずトイレを借りて20分くらいしゃがみ込み(迷惑)、死に物狂いで最寄り駅まで辿り着きまたトイレに行って30分くらいしゃがみ込み、まあトイレに入っても何も出ないし何か出したとしてもそれで痛みが引くわけでも無いのだけど、万が一ただお腹をくだしてるだけであって欲しいという最後の望みにすがったわけですな。

んで結局その駅から自宅までをタクシーに乗り、家に帰ってぶっ倒れた訳です。

翌朝には嘘のように治ってたのですが、一晩たっぷり地獄を味わいました。

 

んで思い起こしてみると、あの男の子たちはなんていい子達だったのだろうと。回復してから布団の中でちょっとばかし感動したのですよ。

私の知ってる中学生男子は、私の「お腹が痛い」という言葉を受けて、去り際に「なんだ下痢だってよーギャハハ」と笑うような生き物でした。あるいはそもそも道端で困ってる人に声なんてかけないか。

それがっ!なんてっ!なんていい子なのっ!

私があんな余裕の無い状態じゃなければ、もっと声の掛け甲斐のある展開にしてあげられたのに!もうちょい回復してればそれこそ「タクシー止めてもらえますか」とか言って少年たちの止めたタクシーに乗って帰れたのに!ごめんね、何もさせられなくて!

でも、一ミリも余裕が無かったからこそものすごく有難かったのですよ。何より肉体が回復した後の心の慰めになったもの。

 

しかし、今の子供たちってもしかしたら昔の子供よりもいい子になってるのかなあとこの頃思います。

こないだとある通販サイトのレビューを見てたら、

「自分にはちょっと無理めかなと思ったスカートですが、高校生の息子が『いいじゃない、似合うよ』と言ってくれたので買って良かったです」という超絶羨ましいレビューを発見してしまいました。事実かどうかは知らないけど。←羨ましすぎて憎まれ口。

そういえば知人宅でも、知人が風邪で寝込んでる時に息子さんが雑炊を作ってくれた話があったりとか、他のおうちでも家事を手伝ってくれた話を聞いたりとか。

娘さんはそこまで大きく印象変わらないけど、息子さんたちの優しさ度が格段にアップしてる気がします。

うちの甥っ子もいい子だなーと思ってたけど、これはもしや個体差なのではなく全般的にいい子が増えてるのかなと。いい子というか、思春期の照れによって優しくできないという現象が減ってるのかなと。

 

もしかしたら、若い頃は私が耳にする機会が無かっただけで、本当はもっとずっと前から優しかったのかもしれないけど。

もしかしたら、私が子供の頃の憎たらしい同級生のガキンチョ達も、おうちでは家族に優しかったのかもしれないけど。

 

うちの兄も優しいっちゃ優しいところもあったのですが、10歳にも満たない妹に雪の中コーラとポテチを買いに行かせておいて一口も分け前をくれない、お駄賃もくれない、みたいなところがあったのでどうしても優しさのイメージは薄れます。恨みって訳じゃないですが、あの所業はずっと忘れない。ずっと言い続けてやる。

 

ともあれあの夜少年たちが声を掛けてくれた出来事は、可愛さ&感動で、この先もずっと語り継いでいきたいと思います。ありがとありがと。兄から受けた仕打ちのことよりこっちの方が語り継ぐべきことですね。

日記とはこういうものだった

今日は、昨日無くした手袋を買いなおしました。

母からもらったまま放置していた本を読みました。

夜作ったニラ玉が滅法美味しかったです。

 

にらたまを変換したら一発目で倪球って出たんだけど何これ。んもーと思ってにらだけ変換したら新羅って出たよ。何これ。こんなの今まで出したことない。日記の時だけ謎の変換出てくること多いんだけど、はてなブログの仕様なの?

それにしてもニラは凄いな。私のフェイバリットホールドであるめんつゆと卵という変わり映えしない組み合わせにも関わらず、ニラが入ることによって凄まじい味の変化があった。旨かった。実に旨かった。また作ろう。

 

母からもらった本というのは漫画とライトノベル。漫画は二冊中一冊だけ読んで、後はいろいろ忙しいのと自分で買った本を読むの優先で放置していたのだけど、今日が母の誕生日なのでおめでとう電話する前にちょっと読んでおこうと思ったのだった。猫アンソロジー本で、早く読めば良かった!ってくらい面白かった。母のお気に入りの波津彬子さん、気付けば私も好きになってた。布教活動成功してるじゃん。素晴らしいな。

 

昨日無くした手袋買い直した。同じ色のが無かったので妥協…って感じだったけど、あのぬくぬく感は手放せない。ほんの一日半くらいの付き合いだったけど、私は彼女の虜になってしまったのだ。そして、失ってなお忘れられず、彼女に瓜二つの人を追い求めてしまうのだ。

動物の擬人化とか、動物が人間の価値観で語る系の作品って好きじゃないんだけど、物の擬人化はすっごいやっちゃう。なんなら物を指すのに「この人」って言っちゃう。動物には「この人」とは言わない。これは逆に言うと物を見下して、物自体の人格…じゃないわ、なに?アイデンティティを認めていないことの現れなのではないだろうか。とか、また思い付きで適当なことを書いてたら収拾がつかなくなりそうなのでやめよう。

我が家には喋る電化製品まだ無いけど、喋るの聞いたらもう愛着つきすぎてやばそう。壊れた時の別れとかめちゃくちゃ辛くなりそうだから喋る子を迎えるのはやめよう。今ですらアレなのに。

ちなみに先日お風呂が壊れちゃってリフォームしてもらったのだけど、新しい電子制御お風呂は喋るのだ。

喋るのだけど我が家の物ではなくアパートの物なので、うちの子ではなく有能秘書を雇ってる感じ。すごい助かってるし感謝してるけど、あまりべたべたする雰囲気ではないかな。水回りにも関わらず関係はドライ。

 

そんな訳で今日はいい一日でした。

明日も頑張りたいと思います。

こういうものだよね、日記って。

いいこともあれば悪いこともある

東京六大学野球公式コンテンツ、TOKYOROCKSというのがあります(六大学野球の公式サイトはスポーツブル内にあるのですが、それとはまた別。運営元どこなのか未だに謎)。

tokyo6s.com

そしてこちらのアプリをダウンロードすると、獲得ポイントで選手カードを引けるというお楽しみがあるのです。

 

やっぱり野球といえばカードですね!プロ野球チップスとか!今まで集めたことないけど。

各大学の選手のチョイスがどういう基準なのかたまにわからない時もありますが(おそらくその年度の春の時点でのベンチ入りメンバー?レギュラーの選手たちなのでしょうけど。え…あの人いないの?みたいなこともあったり無かったり。なんで唐突にこの選手2バージョンあるのだろう?とか。背番号の旧バージョンと新バージョンがあるのとかはすっごいテンションあがります。正捕手の背番号背負った岸本さんみたいに!)

 

こちらのポイントですが、まずは1日1回ログインポイントがもらえるのと、後は六大学野球のゆかりの場所にアクセスすることでもポイントがもらえるのです。神宮球場だとか、各大学のキャンパスだとか、大学御用達の飲み屋街のお店とか(たぶん)。

 

私は中央線によく乗るのでポイントを集めやすいこともあり、せっせとカードを引いた結果、ほぼコンプリートしました。

が、早大の小島選手の2枚目のカードがどうしても出ず、毎日カードを引いては落胆する日々が続いておりました。

 

こんな勿体付けた文章で語るようなことでもないので、サクッと言います。

 

今日、遂に小島キャプテンの2枚目ゲットしたーーーーー!

 

2枚目の存在があるのは知ってたのです。親切な方が見せてくれたのでどんな写真かも知っていました。が、そこはやはり自分で手に入れたい!それがようやく叶ったのです!

 

これは今日はいいことありそう。いやいや、もうこのカードが出ただけで充分いいことあったし。そうか、今日から新人合同自主トレが始まるから、それに参加する小島さんにいいことがあるんだな!

 

なーんて浮かれていましたらば、なんと!

一昨日買ったばかりの手袋を片方無くしてしまいました!

内側がボアで、すっごいぬくぬくのお気に入りの手袋だったのにーーー!

 

まあ、そんな訳でプラマイゼロってとこかな…なんて思っていたのですけど、千葉ロッテマリーンズの公式さんのみならず、浦和球場に見学に行った方もツイッターやらインスタやらでたくさん小島さんのお写真をアップしてくださってたので、まあ…やっぱり今日はプラスの日だったかなーなんて。思わないとやってられない。

 

ともかく、今日一番の悦びを与えてくれたのもすごいショックを和らげてくれたのも共に小島さんでしたってことで。

 

小島キャプテンと他4年生の皆さんと在校生の皆さんと卒業生の皆さんにいいことがありますように。範囲ちょっと拡大しました。愛おしいなあ。

 

手袋は同じの買い直します。

技術

元日にやっていた安藤美姫さんと小塚崇彦さんの出演したバラエティ番組は永久保存版だなあと思いながら何度も観返している。

海外ゲストのジョニーとサラの出演も嬉しかったけど、何より大好きな美姫ちゃんと小塚君の滑りが観られるなんて最高の企画だわと。

技術に惚れ惚れ。特に小塚くんがただ滑ってるだけの姿を延々観たいというのはフィギュアスケートファンなら理解できる感覚だと思うのだけど(小塚くんの部分は他のスケーターにも変換可能。例えばパトリック・チャンとか)リンクを数周滑るだけでも見とれちゃう。6分間練習でリンクに飛び出して行った時の姿を思いだすよねえ。ああ、本当に良い企画。

 

美姫ちゃんの技術も凄かったけど、何よりこういう勝負ごとに挑む時にすごく真剣になるところが好き。真剣に勝ちに行って思い切り楽しむところが本当に好き。尻もちついて大笑いしてるの可愛かったなあ。

そして万能戦士の小塚くんのミスは、ミスでありながらも持ち前の運動神経の良さを発揮するという事態に。大笑いしたわ。

 

対決結果は、勝者がジョニーさんと小塚くんだったので、普通に女子の体力を男子の体力が上回ったというところかな?スピン対決はランビエールさんの「身体がちぎれそうになる」という言葉を思い出してちょっと冷や冷やしたけど。

面白かったです。

 

小塚くんは一時期スケートを完全に辞めていた時期があったのだけど、その後奥様のススメで再びリンクに戻ってきてくれた。その復帰間もない頃に出演したアイスショーでの小塚くんは、基本的に綺麗な滑りは健在だったのもののスピンの出来が本人比でちょっとだけ前よりも衰えた印象があった。

それを見て、そういえばスケートの様々な技の中でもスピンは特に練習できてるかどうかが如実に表れると聞いたことがあるっけなあと思い出したのだった。

その後小塚くんの滑りを観る機会はしばらく無かったのだけど、この番組でスピンだけを切り取って観る限りではそのスピンもきっちり良い時に戻せていたように思うけどどうだろう。見る目が無いので、そもそも衰えてなかったという可能性もあるけれど。

 

ピアノは3日弾かないと技術が後退するとか何々は1日休むとどうのこうのとかいろいろ聞くけれど、それがもし本当だったとしても基礎をきっちりやってきている人ならば少しやればちゃんと元に戻せるのだろうなあと思う。今まで努力して身につけたものを、完全に失ってしまうなんてことは無いんだと。

まあ取り戻せると簡単に書いてるけど、取り戻すところがまず大変な努力を要するのだろうけど。

 

いい話だなあ。ちょっと違うけど筋トレも、多少さぼってもやればまた筋肉戻ってきてくれるもんね。ホント私の身体は私の人格と違っていい奴だ。信頼できる奴だ。こちらのモチベーションをあげてくれる有能な奴だ。

 

この日記も3、4年くらい前までのはすごいキレがあって面白いのがあったりする。関連記事とか辿って読み返すと、お、なかなかいいじゃんと読みふけってしまうこともある(どんだけ自分が好きなんだ)。たぶん台本も日記もじゃんじゃん書いてたのが程よい養成ギプスになっていたのではないかなと。まあ習得した技術というよりは書き慣れて筆が進んでただけという気がするので、これに関しては取り戻すというよりまた地味に地道に精進していくしかない気がするのだけど。

 

好きこそものの上手なれというのは、好きなことだから飽きずに投げ出さずに継続していけて、苦労も乗り越えられて、結果的に上達するということなのだね、と改めて。

嫌いだけど得意、みたいなのは本当に才能なのかもね。

 

しかしながら昔の日記、確かにキレはあるけど間違って書いてることもヒジョーに多くてガッカリすることもしばしば。

って言うか今年の1月1日の日記で、正月早々国士舘の斉藤選手の名前を間違えて書いてたし。昨日ひっそり直したけど。

何かを紹介する記事なのに私の理解が間違ってるとか、結果を間違ってるとか(早大の2018春のリーグの順位を間違えて書いてた)、何より人の名前やパーソナルデータの間違いって凄く凄く失礼よね。

誰が読んでる訳じゃない日記。さりとていつ誰が目にするかわからないネット上での公開日記。こういうのはやっぱり最低限無くさねばなと。

もう、技術以前の問題ね。

回転銀河

海野つなみさんの『回転銀河』読了。

面白かったあああ!

高校生のいろんな恋愛を描いたオムニバス作品。1話目が近親相姦カップルと言うなかなか強烈な始まり方。

自分に兄弟がいることもあって近親相姦ものはあまり好みでは無いのだけど(嫌いじゃないけど共感できない)、でも作中に出てくる

「好きになっちゃいけない人がいるんだったら『好き』ってなんなの?」

というヒロインのセリフ。このセリフひとつで、なんだか全てを肯定できる気分になってしまった。

海野つなみさんと言えばドラマも大ヒットした『逃げるは恥だが役に立つ』だけれど、この逃げ恥でも私は何度も自分の思い込みをひっくり返された。

自分で言うのもなんだけど、私はかなり柔軟性が高いというか、言い方を変えればあまり特定の価値観に捕らわれない方だと思うのだけど、世間の常識に捕らわれない代わりに自分の価値観や決まり事がガッチリ固まってるものも少なからずあったりする。

でも、その自分でも半ば無意識に持っている先入観を覆されることが多くて、それも海野つなみさんの作品の大きな魅力の一つだと思う。

(逃げ恥で言えば、そうは言っても25歳差は無理だろうと思ってた百合ちゃんと風見さんのエピソードとかね!あれは最高だった)

 

この1作目のヒロインの元彼でお友達のイズミくんが凄くいい子。イズミくんにもハッピーなことが起きて欲しいなあ。

全6巻、全ての登場人物が愛おしいのだけど、王子様な須磨ちゃんと不愛想な池上くんのエピソードがすっごくキュンキュンくる。特に2巻の1話目は、途中まで須磨ちゃんに感情移入して胸がえぐられるように辛い気持ちだったのだけど、ラストの方で池上くんの可愛さにやられた。

海野作品の男の子は、嫌な奴でも傲慢な奴でも不器用さがあったりしてそんなところも好き。

私は池上くんみたいな愛想が無いうえに意地悪で怖い人っていうのが好きじゃなくて、話はずれるけど恋愛シミュレーションゲームとかのサンプルを見てると出てくる男がどいつもこいつも「ドS」とか「俺様」とか「意地悪」とか「強引」とかそういうキーワードばっかりで、ハッキリ言って一人も好みのタイプいないんですけど!って感じだったのだけど、池上くんはそういった意地悪さの中にも不器用さを見せてくれるのがいい。非常に可愛い。

オムニバスの後半のメインキャラである悪魔の双子も、なんだかんだ不器用で可愛げがあるので救われる。

女は愛嬌っていうけど、男だって愛嬌で全て許されるよ!可愛いのが最強!

意地悪でドSで隙が無い万能戦士の男なんてどんなに顔面偏差値が高くても1ミリもカッコいいと思えないわ私。

 

須磨ちゃんのお友達の恭子ちゃんと守口くんのエピソードもいい。守口くんはめちゃくちゃストレート勝負でカッコイイよ。

番外編的な物語の「クロニクル」も好きだな。姉の友達との恋、いいねえ。

 

この『回転銀河』は去年復刻版が出たそうで、私は昨日本屋で見かけて知ったのだけど興奮のあまり声が出そうになるほど嬉しかった。

逃げ恥の連載第一回目をたまたま読んで一発でファンになったものの、他の作品がなかなか手に入らず(『豚飼い王子と100回のキス』は買えた、これもすっごいキュンとする話。最高)意気消沈してたのだ。

女性誌に掲載された作品全般に言えることだけど、本当にあっという間に絶版になってしまう。少年誌とかでも同じかな?ずっと読めるのは本当に一握りの大ヒット作だけなんだよねえ。

この『回転銀河』と未読の『デイジー・ラック』の復刻は間違いなく逃げ恥のヒットのおかげだよね?ね?ありがたい!

私はドラマは観てないのだけど、原作の面白さを損なわず、かつキャスト・スタッフが良い感じだったんだろうなあ。ドラマのファンの方たち、ありがとう。マンガが面白くてドラマが作られて、そのドラマも面白くて過去作品が復刻される。なんて素晴らしい夢と希望のある話。有難い。ホントに有難い。

 

そういえば悪魔の双子の話に出てくる和倉ちゃんが、「わかった!」って言いながら勢いと思いつきでガンガン喋る場面でちょっと笑ってしまった。私もそういうヒロイン書いたことあるある。和倉ちゃんの方が賢いけど、私のヒロインもそういうとこ魅力的だなーって思って書いたのだ。なんというかネタが被ってどうのこうのよりも、単純に嬉しいわ。光栄です。

そんくらい海野つなみさんの作品が好き。

万が一私の芝居と回転銀河の両方を観たレアな人が存在してたとして、私がネタをパクったと思われたら恥ずかしいので弁解の意味も込めて書いておこう。その両方を観た人が更に私のブログを見ているなんてこと、レアケース過ぎて可能性ゼロって気もするけど。

 

逃げ恥の続きが描かれるという話を聞いてるので今年はそれも楽しみだ。

 

※余談。海野つなみさんはどうして先生呼びじゃないのかというと、元々私は漫画家さんを手当たり次第先生呼びするのは逆に失礼なのでは…?みたいな考え方があって、私が生まれる前から活躍されてる漫画家さん以外は先生ではなくさん付けする習慣があったのだ。

とは言え何となく便宜上とか話の流れ上とかで先生呼びすることもあるのだけど。

敬意の意味で言うならば海野つなみさんは紛れもなく私にとって「先生」だし、大好きで尊敬する漫画家さんの一人であることに間違いない。

恋かそうでないか 2

昨日の日記を読み返して思ったのだけど、

 

自分の気持ちが恋心なのか応援してるだけなのかの見分け方は簡単で、本気で付き合ってる妄想をするかどうかだと思うな。

 

このくだり。

あの、付き合ってる妄想…しませんか?しない?しますよね?

リアルで好きな人だと私はすぐ告白しちゃうんだけど、現実的に出会うことすらまあ無理だろうという相手とか、無理じゃないけど付き合っちゃいけない相手(仕事の付き合いの関係で絶対にトラブル起こしたくない人を好きになりかけた時が昔あった)だとかいう場合は妄想で完結させることがある。

あと二次元のキャラとか。絶対に実らないからね、文字通り住んでる次元が違うから。

 

そう。私の妄想が本格化したのは、小学生の頃に「有閑倶楽部」の松竹梅魅録くんを好きになった時だった。

それまでも、古い記憶だと保育園に通ってる頃から妄想が趣味だった。特に寝る前の布団に入ってからの妄想タイムが大好きで、映画好きな人が映画を楽しむように妄想を楽しんだ。目をつぶり妄想をし、隣の布団で母が眠ってしまった後もずっと一人で楽しんでいた。おかげで常に睡眠時間が足りてない子供だった。

そんな私が魅録くんに恋をして、しかし相手は漫画の中の人物。本に入れないかと試しながらも、ちょっと待てよと思う。

今のこのちんちくりんなままの私が漫画の中に入れたとして、魅録くんにはまるで相手にされないのでは?

かくして私は魅録くんに釣り合うキャラクターを創造し、その子を私の代わりに脳内で漫画の世界に送り込み魅録くんとお近づきになったのだった。

以降、二次元のキャラのみならず、芸能人(昨日書いた内村さんなど)を好きになった時にも、恋愛できるキャラクター及び出会いから恋に落ちるまでの詳細なシチュエーションを考えることで無事恋を実らせてきたのである。

 

ちなみにファンか恋かの違いというのは二次元でも同じようにあって、例えば「健太やります!」に出てくる坂見台バレー部エースの前田くんは、大好きだけどこれは純粋にただのファン。なのでヒロインの近森さんとくっつきそうでくっつかない関係が大好きだった。もちろん明確にくっついてくれても大歓迎。

ゲーム「ファイアーエムブレム聖戦の系譜」のフィンくんも最初はただのファンだったのでアルテナ王女とくっつけばいいのになーなんて思ってたけれど(ゲームの仕様でこの二人はくっつけられない)、いつしかそれが恋に変わってしまったため遅ればせながら自分の代わりにゲーム世界に入ってくれるキャラクターを考え出した。

 

過去の話みたいにして書いてるけど、ハッキリ言って漫画とかゲームとかのキャラクターへの恋は永遠だ。

今でも妄想タイムは続いているのだ。自分の憑依キャラとは言え全て別々の人物であるため、浮気にはならない。なんて素晴らしいシステム。

 

んでね、同人誌書いたりする人だと理解してもらえると思うのだけど、史実は曲げられないのですよ。妄想と言えど。公式発表を崩すのは禁忌なのだ。

内村さんが結婚した後に、結婚してないということにして恋人妄想することはできないのだ。

ヤムチャ様がブルマと別れた時は「なんでだよブルマ!なんでベジータなんだよ!」と憤りつつも、これで妄想ができる…と心の片隅で思っていた。子供の頃泣く泣くヤムチャ様を諦めた少女の妄想がまさかの復活愛。人生はいろいろだなあ。

 

もしサービス精神旺盛な作家さんが、完結した物語のその後の話を書いたとして。もしそこで自分の好きなキャラクターに恋人や配偶者ができていたら、それは非常に重大な、人によっては突如失恋させられる大変な出来事な訳だ。たまにあるよね。

くれぐれも、本編での伏線を張ってなかった相手と突如くっつける後日談みたいなのは書かないでいただきたいものだ。せめてこちらとしては、仲良くなっていく過程を見て徐々に諦めていきたいのだ。言われてみれば仲良かったもんなあとか、あの事件が元でお互い心の拠り所になったのかなあとか、何か理由があればせめてもの慰めになるのだけど。

そうは言っても私との恋は所詮私の妄想だし、同じ世界の人と寄り添って生きていけるならその方がいいよね、とか。あー苦しい。

 

結局のところ、ファンだとしても恋心を抱いてるにしろ、プラス愛情があれば相手の幸せを願うことはできるのだ。最終的に。

そして、例えばアイドルに恋してるからと言って本気で付き合えると思ってるとは限らないし、もし思ってたとしても別にいいじゃんってことだ。

迷惑さえかけなきゃいいのだ。

利己的な振る舞いによって相手や周囲に迷惑をかけるのがいけないのであって、それは手に届く相手へのリアルな恋でも有名人への恋でもはたまた人間以外への恋でも別の次元の住人への恋でも同じだ。そして恋するということ自体はどれも等しく尊いことであると思うのだ。

そしてまた恋では無く純然たるファンであっても、相手や周囲に迷惑をかけるのがいけないということに変わりはないし、応援すること自体がこれまた言うまでもなく尊いことであるのだ。

 

しかしまあ妄想と言うのはあくまで自分だけで楽しむヒメゴトであるからして、こうして妄想の内容に触れるのはちょっとかなりアレだし何より恥ずかしいよなあと思うのだけど。

もうすぐ78歳になる母が先日、

ライトノベルの●●のシリーズが終わっちゃって寂しいから、後日談を妄想してるんだよねー」

という告白をしてくれたので、私もこれからも元気に妄想していこうと思う。

恋もしていこうと思うし、ファン活動もしていこうと思うし、様々な形の熱烈な思いを糧に生きていきたいと思う。